ここで、iは、ローズホットドットスタンドの契約を得るのですか
「パ」日誌 《ウェブ版》since 2011,JAN,1st - 「パ」日誌メント:聴くことのできない、果てしなきヴォイス・「パ」フォーマンス、開演中。
福島、茨城、千葉で震度3。
多摩美で授業の日。
「食べる」と「昔話」テーマにインスタレーション作品を作りたいという学生の制作相談にのっていたときのこと。
僕:「"食べる"と"昔話"かぁ…、あぁ、桃太郎は、食べものいっぱい出てくるよね。」
地雷ワード、「いっぱい」、パ裂。
しかし、よくよく考えてみると桃太郎に出てくる食べ物は、桃ときびだんごくらいのもので、学生に適当なことを言っていた自分に後で気づく。
ここまでの成績…
積算上演日数:589(+1)
終演まで:437(±0)
終演見込み日:2012年8月11日(+1)
しかし日誌の更新が遅れたので(8月6日、7日)、罰則として上演期間を2日間延長…
積算上演日数:591
終演まで:439
終演見込み日:2012年8月13日
Categories: 契約違反日
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早朝、福島で震度4。朝、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岐阜で震度3、新潟で震度3、茨城で震度3。夜、熊本で震度3、茨城で震度3。
一日中、実家に引きこもり。鬱屈した気持ちが晴れない。
母が緊急時のために飲み水を買いだめしておきたいが、車が出せないのでどうしたらいいだろうという。
そもそもミネラルウォーターを買えるのかという問題もあるのだが、首都圏では深刻なガソリン不足が続いている。ガソリンの在庫が底をつき、閉店するガソリンスタンドが続出。開店しているわずかなガソリンスタンドには車が殺到し、何時間も並ばなければ給油することができない。今週中にも供給が安定する見通しとのことだが、今車のタンクに残されているわずかなガソリンを消費するのはできるだけ避けたい。
私:「じゃあ、カートをひっぱって買いにいってこようか」
地雷ワード、「ひっぱる」、パ裂。
それでも今日は一つだけ、良いニュースがあった。以下に転載させていただく。
夢は芸術家…9日ぶり救出の16歳少年「助かって良かった」(スポニチ)
宮城県石巻市の倒壊した家屋で震災から9日ぶりに救出された阿部任さん(16)が21日、入院先の石巻赤十字病院で取材に応じ、「助かって良かった」などと心情を語った。
任さんと祖母の寿美さん(80)を助け出した県警石巻署の清野陽一巡査部長(43)ら4人も「生存者がいたことに驚いた。生きていてくれてうれしい」と話した。
病室のベッドに寝たまま質問に答えた任さんは、閉じ込められていた9日間について「水を飲んで、お菓子を食べていた」とし、「(捜索隊などの)音は聞こえたが、外に出られなかった」と述べた。
同席した父親の明さん(57)は「順調に回復してくれるはず。(寿美さんが助かったのは)任がいたからだと思う」と穏やかな表情を見せた。
清野巡査部長らによると、石巻署員4人は20日午後の捜索中、かすかな声が聞こえたため、近づくと家屋の屋根にすがりつく任さんを見つけた。寒さに震えていたが「大丈夫です」と話した。署員がカイロを差し出したが、「おばあちゃんを助けてほしい」と寿美さんを気遣った。
家屋は押しつぶされていたが、署員らは、がれきをかき分けながら中へ。クロゼットや冷蔵庫などが倒れた台所に、わずかに空いたスペースで寿美さんが布団にくるまり座っていた。寿美さんは衰弱した様子だったが「安心してください」との署員の言葉に泣き崩れたという。
救出後、清野巡査部長が任さんに将来の夢を尋ねると、「芸術家になりたいです」と元気に答えたという。清野巡査部長は「つらい中での救助活動だったが励みになった」と振り返った。
同署などによると、東北地方では地震の後、雪が降るなど真冬並みの日もあった。2人は厚着し、毛布にくるまって寒さをしのぎ、冷蔵庫の中にあったヨーグルトなどを食べていたという。
寿美さんと任さんを診察した石巻赤十字病院の小林道生医師は21日、取材に対し「(2人とも)元気で、朝食もしっかり食べた」と話した。
ここまでの成績…
積算上演日数:525日(+1)
終演まで:445日(±0)
終演見込み日:2012年6月8日(+1)
Categories: 契約違反日
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早朝、福島で震度3。朝、長野で震度3、岩手で震度3、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岩手で震度4。夕方、岩手で震度3、茨城で震度3。夜、茨城で震度4、千葉で震度4、福島で震度3。
今日第5グループでは、午前6時20分~午前10時と、午後1時50分~午後5時30分の二回にわたって計画停電が実施された。
停電中、「首都圏から退避すべきか留まるべきか」を議題に、実家の食堂で母、「パ」ートナー、私の3人で家庭内会議を開く。
しかし母親というのはいざとなると実に身勝手なもので、会議はちょっとした親子喧嘩に発展した。私と「パ」ートナーには未来があるからと、二人に執拗に疎開を要求するくせに、自分は5匹のネコを置いて逃げられないので、どんなに被曝しようがここに留まると言うのだ。
この家庭内会議で私が意見した内容は以下の通り。
実家は爆心地からちょうど250km離れている。ここを退避すべきかどうかは見極めが難しい。
今回の原「パ」ツ事故がもし最悪のシナリオを辿ったとしても、政府が首都圏に避難勧告を出すことは最後までしないだろう。そしてマスコミは決して事実を正確に伝えないだろう。だから退避すべきかどうかは、最終的に自分たちで決断しなければならない。
事故が最悪のケースに至った場合、放射能被害もさることながら、各地で甚大なパニックが起こることが予想される。パニックによる危険と、被ばくによる人体への危険を天秤にかけた場合、前者の方が差し迫った危険としては大きいなのではないか。首都圏から我れ先にと逃げ出そうとする人たちで交通機関という交通機関は機能不全に陥るだろう。だから放射能による健康被害だけでなく、パニックの中で足止めを食らって身動きが取れなくなったり、事故や事件に巻き込まれるというようなことも想定しておくべきだろう。
炉が水蒸気爆発を起こし放射性物質が大量に拡散した場合、放射線量はこの辺りでも相当上がるだろう。しかしそれでもここが爆心地から250km離れていることを考えると、成人が"直ちに"健康への深刻な影響を受けるレベルまでには至らないだろう。民間で放射線量を測っている人たちは沢山いるので、政府やマスコミが放射線の数値を隠蔽することは不可能だろう。
したがって、例え最悪のシナリオを辿って避難する必要が出たとしても、放射線の数値を睨みつつ、パニックが沈静化されるまで数日間屋内に留まり、ある程度安全に移動できるようになってから移動する、というのが最善の策なのではないか。
結局会議は私の意見した内容で合意に至り、一件落着。
しかし私はこの会議の中で、地雷ワード、「パニック」を1回パ裂させてしまったのだった。
そして夜、日本時間で日付が変わって3月18日未明。パリにある「La Gaieté Lyrique」では、渡航を取りやめた私と大友良英さん以外のツアーメンバーによって、『We Don`t care about music ayway…』のライブが始まろうとしていた。現場には行けないが、何らかの形で参加したい…、そう思った私は、自らの心臓の鼓動をUSTREAMを通じて日本の実家からパリの会場へとリアルタイムに配信することにした。オンラインライブというより単なる心臓の鼓動の垂れ流しなのだが、この危機の中でも変わらず息づく私の小さな命の音を、客入れDJのような感じで使ってもらえればと思ったのだった。電子聴診器を胸部に貼付けて配信開始。そしてその状態のままベッドに入り、パリにいる人々に思いを馳せながら眠りについたのだった。
ここまでの成績…
積算上演日数:524日(+1)
終演まで:448日(±0)
終演見込み日:2012年6月7日(+1)
Categories: 契約違反日
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未明、茨城で震度3、福島で震度3。早朝、東京で震度3、新潟で震度3、宮城で震度3、福島で震度3茨城で震度3。朝、新潟で震度3、秋田で震度3、福島で震度3、茨城で震度3。昼、岐阜で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、静岡で震度6強、福島で震度6強、山梨で震度4、茨城で震度3、千葉で震度3。
起床。昨晩はあまり眠れず。
一階の食堂へ降りると、母が朝食をつくってくれていた。窓際に置かれたテレビでは、今日も慌ただしく震災と原発についての報道が繰り返されている。
アナウンサーが言った。
"東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。えー、繰り返します、東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。"
私はこの「会見」が、わざわざ「国民に向けたメッセージ」という言い方で報じられていることに戦慄した。おそらく昨日の爆発によって拡散した放射能は、風にのってもう首都圏に到達しているはずである。しかし自分が吸っている空気の放射線量を知る術がない。そんな状況の中で、昨日の原「パ」ツ爆発を受けて首相が「国民に向けたメッセージ」を出すという。真っ先に1945年8月14日夜と8月15日朝に、「十五日正午に天皇自らの放送がある」と報じたあの予告放送のことが思い出された。玉音放送にしろ、911の際のブッシュのテレビ演説にしろ、世界大恐慌の際のルーズベルトのラジオ演説にしろ、国家の最高責任者が国民に直接メッセージを伝えようとするとき、それはいつも国民がこれから歴史的な受難を引き受けな ければならないという宣告だった。このニュースはその宣告の予告なのだ。
私は時計に目をやった。時間は午前10時40分を少し過ぎたところである。よし、まだ間に合う。私は朝食を中断し、母に水を詰められるあらゆる容器をすべて水道水で満たすようよう指示し、自分もついて行くという「パ」ートナーを足手まといになるからと振り切って、寝巻きのまま家を飛び出した。近所のコンビニエンスストアを何軒も走って回り、ありったけのマスク、軍手、ガムテープ、飲料水を買い漁る。きっとこれは「買い占め」という非難されるべき行為なのかも知れない。しかし私にも守らなければならないものがあるのだ。両手いっぱいに袋を抱え、実家に帰ると、ちょうど菅首相の「国民に向けたメッセージ」がはじまるところだった。
"国民の皆様に、福島原発について御報告をいたしたいと思います。是非、冷静にお聞きをいただきたいと思います。"
「メッセージ」はこんな不穏な調子で始められた。以下、会見より引用。
"福島原発については、これまでも説明をしてきましたように、地震、津波により原子炉が停止をし、本来なら非常用として冷却装置を動かすはずのディーゼルエンジンがすべて稼働しない状態になっております。この間、あらゆる手だてを使って原子炉の冷却に努めてまいりました。しかし、1号機、3号機の水素の発生による水素爆発に続き、4号機においても火災が発生し、周囲に漏洩している放射能、この濃度がかなり高くなっております。今後、さらなる放射性物質の漏洩の危険が高まっております。
ついては、改めて福島第一原子力発電所から20kmの範囲は、既に大半の方は避難済みでありますけれども、この範囲に住んでおられる皆さんには全員、その範囲の外に避難をいただくことが必要だと考えております。
また、20km以上30kmの範囲の皆さんには、今後の原子炉の状況を勘案しますと、外出をしないで、自宅や事務所など屋内に待機するようにしていただきたい。そして、福島第二原子力発電所については、既に10km圏内の避難はほぼ終わっておりますけれども、すべての皆さんがこの範囲から避難を完全にされることをお願い申し上げます。
現在、これ以上の爆発や、あるいは放射性物質の漏洩が出ないように現在全力を尽くしております。特に東電始め関係者の皆さんには、原子炉への注水といったことについて、危険を顧みず、今も全力を挙げて取り組んでいただいております。そういった意味で、何とかこれ以上の漏洩の拡大を防ぐことができるように全力を挙げて取り組んでまいりますので、国民の皆様には、大変御心配はおかけいたしますけれども、冷静に行動をしていただくよう心からお願いを申し上げます。
以上、国民の皆さんへの私からのお願いとさせていただきます。(引用終わり)"
その後、枝野官房長官の会見が続く。それによると、午前10時22分に、第1原発3号機付近で毎時400ミリシーベルトの放射線量を観測。これは1時間で一般人の年間被ばく線量限度の400倍になるとのこと。これについて、"身体に影響を及ぼす可能性の数値であることは間違いない"、"放射能濃度がかなり高くなっている。今後、放射能の漏えいの危険が高くなっている" とのこと。
今のところ、首都圏に関してはまだ深刻な放射線量ではないとのことだが、原「パ」ツ事故には隠蔽がつきものだ。果たして政府や東電は信じられるのだろうか…。
そして夜、静岡県東部を震源に震度6強の地震。この地震で2名が重傷、48名が軽症。521棟の建物が一部損壊。21,700軒が停電。
twitterでは八谷和彦さんが書いた「うんち・おならで例える原発解説」が話題になっていた。今回の原「パ」ツ事故が子供でも理解できるよう、ユーモラスな例えで解説された名文である。私はこれを不安で押しつぶさそうになっている母と「パ」ートナーを少しでも落ち着かせようと、声に出して二人に読み聞かせたのだった。深刻な現状を的確に解説しながらも、おもしろ可笑しく表現されたその文章に、それまで浮かない顔をしていた二人の顔が「パ」っと明るくなって笑いがおこる。しかし、文中には当然「原発」という言葉が頻発する。私は文章を目で追いながら、この文字をキャッチする度に、頭の中で「原子力発電所」という言葉にリアルタイム変換して声に出していたのだが、一カ所、ミスってそのまま「原発」と読んで しまったのだった。
地雷ワード、「原発」、パ裂。
ここまでの成績…
積算上演日数:523日(+1)
終演まで:449日(±0)
終演見込み日:2012年6月6日(+1)
Categories: 契約違反日
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未明、福島で震度4、新潟で震度3、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度4、福島で震度3、岩手で震度3。昼、長野で震度4、福島で震度3、岩手で震度3、千葉で震度3。夕方、宮城で震度3、岩手で震度3。夜、福島で震度3、茨城で震度3。深夜、福島で震度4、千葉で震度3、三陸で震度3。
『金閣寺』大千秋楽。32公演目(大阪、梅田芸術劇場)
原「パ」ツのこと、被災地のことが気になって一睡もできずに夜が明ける。
何とか一時間だけでも眠りたい、そう思って目を閉じるが、瞼の裏側に焼き付いた破壊的な映像が津波のように押し寄せてきて、目を閉じていることができない。あきらめて朝食をとるために25階のレストランへ。
窓から臨む大阪の朝は美しかった。
しかし今日は舞台に立ちたいとはどうしても思えない。
多くの人がそうであるように、私もまた不安と無力感に苛まれていた。
しかしそれでも幕は明けるのだ。
そしてこれが自分の選んだ道なのだ。
自分が受け取けとったこの衝撃を、舞台で声に変えて放出することが、今の僕にできる唯一の仕事なのだろう。
そう自分に言い聞かせて、ホテルをチェックアウト。
劇場へ。
そして本番…。できるかぎりのことはやったつもりだ。
32公演ものロングランが終わった。余韻を味わう暇もなく、急いでシャワーを浴び、荷物をまとめ、劇場を後にして新大阪駅へ。帰りの新幹線はがらがら。客室の空気は張りつめて、私を含めてみんな無口だった。そんな中、気を遣ってくれたのだろう。プロデューサーの福島さんが2人分のビールを持って私の隣に座り、明るく話しかけてきてくれる。
「夏のニューヨーク公演がんばりましょう」と福島さん。
『金閣寺』は7月にニューヨークで開催されるリンカーンセンターフェスティバルで再演されることになっている。
昨晩一睡もできなかったのと舞台の疲れのせいで、いつもよりビールのまわりは早かった。加えてこの震災で何かが鬱屈していたのだろう、私はいつもよりずっと早口だった。日本のインディペンデントな音楽シーンや、舞踏といった文化が、いかに世界的な評価を受けているか、そしてそれがいかに日本のメディアに載らないか、というような話をマシンガンのごとく興奮気味に語り続けた。
私:「ノイズや即興音楽シーンでは、日本のアーティストは海外からひっぱりだこなんですよ」
地雷ワード「ひっぱりだこ」、パ裂。口が滑ったことで、少しだけ酔いが醒める。
そうこうしているうちに新幹線は新横浜へ。
キャスト、スタッフの皆さんとお疲れさまの挨拶をして新幹線を降り実家へと向かう。
実家の最寄り駅までいくと、ちょうど母と実家へ身を寄せている「パ」ートナーとが、駅前のスーパーへ買い出しに来ているとの連絡があり合流。2人とも私の顔を見てほっとした様子だ。私もやっと少し肩の力が抜くことができた。
しかしスーパーの棚にはほとんど何もなかった。震災で多くの人が一気に買い込みに走ったようだ。それでも残されたわずかな食料を買って、実家へ帰宅。3人でテレビニュースにかじりつきながら夕食をとる。
ニュースによれば、原「パ」ツ事故によって首都圏に深刻な電力不足が生じているとのことで、東京電力は、明日14日から3時間ずつ、地域ごとにローテーションで停電を実施するという。実家のある地域は第5グループに分けられるらしいのだが、東京電力が事態に対応しきれておらず、情報が混乱をきたしていて、停電が実施される時間帯が深夜になっても発表されない。停電した場合、鉄道機関への電力供給も停まるため、その地域の電車は動かなくなるらしい。
明日、こんな非常事態の中でも「パ」ートナーは仕事に行かなければならないという。電車が動かなければ、職場に辿り着けないではないか。しかし、明日のことは明日のことと、あきらめて、そのまま「パ」ートナーと実家に泊まることにした。
ここまでの成績…
積算上演日数:522日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月5日(+1)
Categories: 契約違反日
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未明、新潟で震度6強、千葉で震度4、秋田で震度4、福島で震度4、長野で震度4、群馬で震度4、茨城で震度4、三陸で震度4、宮城で震度3。早朝、新潟で震度6弱、長野で震度4、福島で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3、三陸で震度3、秋田で震度3。朝、福島で震度4、新潟で震度4、長野で震度4、宮城で震度3、岩手で震度3、三陸で震度3、茨城で震度3。昼、岩手で震度4、新潟で震度4、長野で震度3、福島で震度3、茨城で震度3宮城で震度3、三陸で震度3。夕方、東京で震度3、福島で震度3、茨城で震度3新潟で震度3、三陸で震度3。夜、福島で震度5弱、新潟で震度5弱、岩手で震度4、長野で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3。
『金閣寺』30、31公演目。(大阪、梅田芸術劇場)
ホテルで目覚めると、つけっぱなしで寝てしまったテレビからは、言語に絶する映像が流れ続けていた。繰り返し流される津波の映像があまりに衝撃的すぎて昨晩はあまり眠れず、睡眠不足。
しかも朝から何だか涙腺が緩い。自分で自覚しているよりも、破壊的な映像で心がダメージ受けているようだ。今日はマチネとソワレの2公演をこなさなければならないというのに。ハードな一日になりそうだ。
部屋のカーテンを開けると天気はよかった。26階の窓から見下ろす大阪の街の風景はいつもと変わらなかった。
するとパートナーから電話。昨晩泊めてもらった同僚の家からそのまま仕事に向かうとのこと。大きな余震があるかもしれないので、夜は横浜の私の実家に泊まるように私は「パ」ートナーを説得した。
ホテルを出て劇場へ。みんな口数が少なく、舞台裏は静まり返っている。「おはようございます」と、キャストやスタッフの方々と挨拶をするが、お互い今日も震災の話題は持ち出さなかった。楽屋に入り、テレビモニターのスイッチを入れ、チャンネルをニュースに合わせた。普段は舞台に集中するため、楽屋ではなるべく外の情報はシャットアウトしてきたが、今日はそうはいかない。
そしてマチネ開演。空席が目立つ。きっと首都圏から来るはずだった人が来られなくなったのだろう。『金閣寺』は地方公演でも、かなりの数の人が首都圏から観に来るのだ。
マチネを終え、シャワーを浴びる。そして楽屋へ戻ったとき、私はテレビに映し出された映像に言葉を失った。
え?…。
福島の原子力発電所とみられる建物からもうもうと煙が上がっている。爆発した…。原発が爆発してしまったのだ。
ニュースによれば、爆発があったのは、福島第一原発一号基。大きな揺れがあり、ドーンという音とともに白煙が上がったとのこと。現場にいた4人が病院に運ばれたらしい。すぐにチェルノブイリのことが頭をよぎった。これはヤバイ。いても立ってもいられなくなって楽屋の外に出る。そして廊下を通りかかったスタッフにこう話しかけた。
「テ、テレビ見ました?原発…、ヤバイことになりましたね…」
地雷ワード、「原発」パ裂。
よりによってこんな日に、こんな形で「パ」と口を滑らせてしまうとは何たる罰か…。自らを呪う。
誰かが街頭でもらってきたのだろう。劇場事務所の掲示板には「福島原発で爆発」と大きく書かれた号外が張り出されていた。明日の大千秋楽を前に、本日予定されていた打ち上げは中止。
こんな日にマチネとソワレ計2公演というのはさすがにキツかったが、それでも何とか公演を終えて、ホテルへ戻る。すると怪しい女子が私の背後をつけてくる。さては『金閣寺』の他のキャストのおっかけだろう。私とお目当てのキャストが同じホテルの同じ階に宿泊してると思って尾行してきたらしい。まったく、こんなときにやめてくれ…。一旦別の階で降りて、おっかけを巻いてから自分の部屋へ戻る。
実家に電話。電話も少し繋がりやすくなってきた。仕事を終えた「パ」ートナーが実家に到着したらしい。今晩は実家に泊まるとのこと。ノートPCを開くと海外の友人、知人から、安否を気遣うメールが次々と届く。世界中で日本の震災と原発事故がトップニュースとして報道されているようだ。
ベッドに入るが眠れない。
テレビをつける。何度も繰り返される津波の映像を見ながら、ビールを喉に流し込む。
気仙沼には一度仕事で訪れたことがある。あの時会った人たちはどうしただろう。
あの美しい碁石海岸はどうなっただろう。
津波による死者・不明者の数はどこまで増えるのだろう。
原発事故はどうなるのだろう。
東北はどうなるのだろう。
この国はどうなるのだろう。
私の「パ」ートナーや家族はどうなるのだろう。
私たちの未来はどうなるのだろう。
とにかく明日は『金閣寺』大千秋楽。
明日の公演を終えれば、家に帰れる。
ここまでの成績…
積算上演日数:521日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月4日(+1)
Categories: 契約違反日
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『金閣寺』のため、博多入り。
羽田空港行きのリムジンバスに乗る前に、慌ただしく腹を満たそうと、駅前のマクドナルドへ駆け込んだ。
マクドナルドの店員さん:「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
私:「えっとー、じゃあ、ダブルクォーターパウンダー・チーズ、セットで!」
地雷ワード、「ダブルクォーターパウンダー」、パ裂。
ここまでの成績。
積算上演日数:506日(+1)
終演まで:451日(±0)
終演見込み日:2012年5月20日(±1)
Categories: 契約違反日
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「金閣寺」松本公演のため、長野へ。
そして松本芸術劇場に到着し、明日の本番に向けての場当たり稽古。
1月23日付けの日誌に書いたように、「金閣寺」では、私が天井から吊されるシーン(舞台用語でフライング)があるのだが、地方公演で各地のホールを巡回するにあたり、テクニカルな理由から、フライングで天井から降りてくるという演出は断念せざるを得なかった。
結果的に松本公演からこのシーンは、私が高所によじ登って登場する、という形に変更されたのだが、その新たな演出を段取りで確認していた時のことである。
舞台で私は床を引きずるほどの長さの金のスカートをはいているのだが、マイクを片手に舞台装置をよじ登ろうとすると、どうしてもこれが邪魔になる。最悪、裾を踏んづけたまま上に登ろうとして転落する危険すらあり得る。
そこで私は考えた。
「うーん、やっぱりスカートを口にくわえるしかないかな…」
地雷ワード、「やっぱり」パ裂である。連続完封記録更新ならず。
ロッキートップ建材だがしかし、地雷ワードは踏んだものの、スカートを口にくわえながら舞台装置をよじ登るアイディアは名案だった。
という訳でここまでの成績…
積算上演日数:498日(前日比 +1)
終演まで:449日(前日比 ±0)
終演見込み日:2012年5月12日(前日比 +1)
それに加えて、昨日いきなりノートPCが壊れてしまい更新が滞ったので、4月19日に発表した契約者様への陳謝状で約束した通り、上演日数を一日加算。総計は下記の通り。
積算上演日数:499日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年5月13日
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『金閣寺』13公演目。終演後、アフタートーク。出席者は、宮本亜門さん(演出)、小野寺修二さん(振付)、伊藤ちひろさん(台本)、そして私の四名。私はラストシーンで体に金のペイントを施して出ているので、終演後、楽屋のシャワーで金を落とし、少し遅れてトークショーに参加する、という段取りになっていた。
カーテンコールを終え、楽屋に戻りシャワーを浴びていると、楽屋のスピーカーからトークショーの模様が聞こえてきた。始まったようである。
劇場というのは、各出演者が自分の出番を確認するため、舞台表の状況が映像と音声によって各楽屋にリアルタイムにモニターされる仕組みになっている。スイッチを切らない限り、トイレで用を足しているときや、シャワーを浴びているときでさえ、裏に舞台表の状況がダダ漏れで流れてくる。しかし自分がこれから参加するトークショーのやりとりを聞きながら、自分の裸をごしごしと洗うというのは、何とも奇妙なものだった。皆を待たせている。早く行かなければ…私は焦った。急いでシャワーからあがり、体もろくに拭かず、裸足のまま靴と靴下を抱えて楽屋を飛び出して、首からバスタオルを掛けた半裸の格好で、私はトークショーの行われている舞台に駆けつけた。
ふと皆の顔を見ると、トークの出席者も観客も目が点だ。私が着替え途中で壇上に上がったことに驚いているようである。人の目というのは不思議なものだ。たったさっきまで私は半裸で舞台にいたではないか。その私が再び半裸で舞台に出て来ただけだというのに…。そう思いながら自分に用意された席に腰掛けて、おもむろに靴下を履きながらトークに合流しようとしたのだが、それまでの話の骨は私のせいですっかり折れてしまったようだった。すみません。
トーク終了後はスタジオへ移動し、亜門さん立ち会いのもと、二幕のラストシーンで使う私の目のアップ映像の撮り直し。撮影は昔から友人である映像作家、掛川康典さん。
以前撮影したときは、軽くアイシャドウを入れただけで撮ったのだが、今回は目の周りを真っ黒に塗りつぶした状態で撮影したいという。つまり舞台上にプロジェクターで映像が映し出されたとき、私の目だけが浮かび上がるような風に撮影したいということだ。
撮影は和やかに進んだ。両目の目の周りを丸く黒で塗りつぶされた私の顔を見て笑うスタッフたち。最終的には目が画面いっぱいになるように撮影するので問題ないのだが、引きで見ると相当滑稽な顔になっているようである。ふと、このとき私の中で「パ」災報知器が働いた。ここで私が気をつけなければならないのはあの動物だ。そう、「パンダ」である。私の脳内で「バンダ」警報発令される。
掛川さん:「ははは、パンダみたいだね(笑)」
私:「…」
私の中で「パンダ」が最大の敵となっていることなど知る由もない掛川さんは、さらに続けた。
掛川さん:「あとなんか、こういうメイクするバンドいたよね(笑)」
こんな時、音楽好きはちょっとひねりの効いたレスポンスを返したいものである。ここで「キッス」や「マリリン・マンソン」を挙げるのは野暮だろう。しかしマニアック過ぎて伝わらなくては本末転倒。同世代ならこそばゆく感じられるであろう、絶妙なラインを狙うのがマナーというものである。
私:「うーん…MISFITS…!」
掛川さん:「ぎゃははは(笑)」
私:「うーん…アリス・クーパー!」
掛川さん:「あぁ、いたねー、なつかしー(笑)」
地雷ワード「アリス・クーパー」パ裂。
ここまでの成績…
積算上演日数:429日(前日比 +1日)
終演まで:387日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月4日(前日比 +1日)
そしてこれに加えて、4月19日に発表した契約者様への陳謝状で約束した通り、2/10〜4/19更新延滞賠償分の「68日」を加算すると…
積算上演日数:429日+68日=497日
終演まで:387日+68日=455日
終演見込み日:2012年5月11日
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『金閣寺』12公演目。
人は劇場という空間に何を求めて足を運ぶのだろう?。もちろんそれぞれ求めているものは同じでないと思う。しかし多かれ少なかれ、日常の「マンネリ」から抜けだして、どきどきするような非日常に身を投じたいという欲望を抱えてやってくるのではなかろうか。
だが、舞台に立つ側の人間からすると、こうも毎日、毎日、同じ劇場へ通い、同じ舞台に立ち、同じシーンを見ながら、同じタイミングで、同じ台詞を言い、同じ声を出すことを繰り返しているうちに、いやがおうにも非日常でなければならないはずの舞台が、月〜金で会社に通う勤め人のそれのように、「日常」的に感じられてきてしまうものである。公演を重ねるたびにどんどん進行していくその「平和ボケ」にも似た感覚との闘いが、「金閣寺」のようなロングラン公演に出演する出演者にとっては切実なものになってくる。
そのために私は毎回ほんのわずかだけ何かを変える工夫をする。
それはちょっとした気の持ち方だったり、声の出し方のような具体的なものだったりと様々だ。一昨日(11公演目)の舞台で私のその工夫とは「金太郎」になってみることだった。
金閣を象徴する存在である私は、舞台のラストシーンで体に金色のペインティングを施して華々しく登場することになっている。そのペインティングを施すのはメイクさんの仕事である。しかし一昨日、ラストシーンの出番の準備をする楽屋で、私はメイクさんから筆を奪い、自ら自分の腹の上に「金」の字を書いてみたのだった。
「金」の字を金閣そのものの形に見立て、岡本太郎の躍動感溢れる炎のような文字をイメージしながら、勢いよく筆を走らせる。しかし、鏡に映る自分の腹をキャンバスに思い通りの線を描くのは簡単ではなかった。
私の腹を見て苦笑いするメイクさん。そう、私の腹の上の「金」の字はまるで小学一年生の書いた文字のような出来映えだったのだ。
違う!。想ってたのと違う!。こんなはずじゃなかったのに…。
急いで描き直そうとも考えたが、すぐそこまで出番が迫っている。時間がない。
「じゃ、よろしくお願いしま〜す」
無情にも私を見捨てるようにメイクさんは楽屋を去っていった。仕方なくその日、私はその残念な姿のまま舞台に上がったのだった。
後で聞くところによれば、照明の具合で私の腹の上に描かれたそれが「金」の文字であるようには見えなかったとのこと。ほっと胸をなで下ろしただが、これに懲りて以後体のペインティングはメイクさんに任せようと思ったのだった。
そして本日12公演目の舞台裏。ラストシーンの出番を前に、金の塗料と筆をもって楽屋を訪れたメイクさんにこう言った。
「やっぱり、金太郎やめます…」
地雷ワード「やっぱり」パ裂。
というわけで、ここまでの成績…
積算上演日数:428日(前日比 +1日)
終演まで:387日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月3日(前日比 +1日)
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『金閣寺』5公演目。
公演終了後、ある方のご厚意により、キャスト全員、食事会に招待いただいた。場所は劇場近くの中華街。中華料理に舌鼓を打ちながら、隣に座っていた大東俊介さんと歓談する。
大東さん:「山川さんは結婚とかしないんスか?」
私:「うーん、前は結婚とか全然分からなかったけど、今は普通にしたいと思うようになりましたねぇ…」
大東さん:「子供とかは?」
私:「子供は欲しいなぁ。でも、日本の未来とか、太平洋地域の安定とか考えると心配もありますよね。あっ…」
ハっとして一瞬凍りつく私。それに対して喜々とした表情を浮かべる大東さん。
地雷ワード、「心配」、パ裂である。
大東さん:「オレ、結構、山川さんの"パ"いただいてますよね」
そうなのだ。大東さんのパっとした爽やかさのせいだろうか。一月二十二日にも私は大東さんに「パ」と言わされているのだった。
というわけで、ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 +1日)
終演まで:392日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 +1日)
Categories: 契約違反日
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昼:たまごサンド
夜:ナスのカレー、玄米ご飯
『金閣寺』三日目。
今日もまたほぼ全席が女性で埋め尽くされていた。
そして終演後のカーテンコール。
主演で溝口役の森田さんが客席に向かって手を振った瞬間、それに反応して何千という手のひらが一糸乱れぬ恐るべき瞬発力で、一斉にひらめいた。大規模なマスゲームを見るようなその壮観な風景に、思わず感嘆の声をあげる私。
「うわーっ!すげーっ!」
驚きのあまり出演者である自らの立場も忘れて、隣に立っている岡本麗さんと中越典子さんに話しかけてしまう。
私:「すごいですねー!、"笑っていいとも"のアレができそうですねぇ!」
岡本さん:「えっ…?笑っていいとものアレって何ですか…?」
私:「ほら、タモリが指揮する"パンパンパンッ"っていうアレですよ!」
地雷ワード、"パンパンパン"、パ裂。
これは痛い。一度に三連「パ」ツである。観客を舞台の上から冗談のネタにした罰(ばち)があたったのだろう。
罰があたったついでに白状すると、実は私はこの舞台の最後にカーテンコールなどあるべきではないと考えていた。ラストシーンで金閣を燃やし終えた溝口が、虚構から現実、舞台から客席へと境界を越境し、アノニマスな存在として観客に同化していくあの余韻が、カーテンコールの存在によって、"リアリティ"を模倣するポーズで終わってしまうと感じたからだ。潔く超えられた境界は、超えられた状態のまま永遠化するのが美しい。ああいう終わり方をする以上、私にはカーテンコールが野暮に感じられて仕方なかったのである。
しかしそれ以前に尺然としないのは、そもそものこの舞台での私の役割である。配役クレジットでは、「鳳凰:山川冬樹」となっている。金閣の頂に据えられたあの鳳凰のことである。しかし台本で私の出る場面のト書きには「鳳凰」ではなく「金閣を象徴する男」と記されている。私は鳳凰役として鳥を演じているわけではないし、金閣役として建物を演じているわけでもない。いったい自分が何の役なのか、いまだにあやふやなままなのだ。
このあやふやさは、金閣の美というものが、主人公溝口の主観の中だけに描き出された実体なきものであり、そもそも配役という形で客体化しようのないものであることに根ざしているのだろう。宮本亜門版『金閣寺』において特に独創的なのは、ある種の"リアリティ"を装いつつも、一方ではこのような個人の主観の中だけに存在する、客体化しようのない妄想のようなものを、果敢にも客体化しようとしている点にあるのだと思う。この舞台を見た人の多くは、私という存在による金閣の美の客体化を「擬人化」あるいは「象徴化」という言葉を使って表現するが、「擬人」というならもっとペラペラと人の言葉で台詞を喋ってもよさそうなものだし、「象徴」というには私の存在はまがまがし過ぎる。ここでは実体のないものに� ��まがまがしく具体的な人の形が与えられているばかりか、それがさらに崇められているという意味で「偶像化」という言葉が最も的を射ていると思われる。つまり、この舞台での私の役割とは金閣の美の「偶像」として、英訳すれば、溝口の"idol"として存在することなのだ。
しかしカーテンコールになった途端、劇中で溝口に崇められるべき"idol"は、見事にその座を引きずり降ろされてしまう。そして突如として底辺で虐げられていた溝口が華々しい"idol"に…、物語になぞらえて言えば、まさに"金閣"そのものに変貌するのである。いつの間にか私はこのカーテンコールでの劇的な下克上を、舞台で繰り広げられる演劇の延長として楽しむようになっていた。溝口が金閣になったなら、引きずり降ろされた私は溝口か?。いやいや、そうではないだろう。私は"溝口役の人物"(つまり森田剛さん)を実体の伴った共演者として尊敬していても、溝口が金閣を愛するような形で愛してなどないからだ。
溝口は非常に強いエネルギーをもって、金閣に耽溺し、理想を重ね、生きる生きがいとして崇め、執着し、自らを支配させていた。金閣を燃やさねばならなかったのは、その強烈な想いゆえである。溝口の行為は社会的規範で考えれば犯罪として認識されるが、エネルギーにはそもそも善悪などないのだ。原子核融合によって生じるエネルギーが、太陽の恵みとしてこの星を存続させている一方で、大量破壊兵器としてこの星を滅ぼしかねないように、エネルギーとはその最終的な現れ方の形によって、結果的に善悪に分別されるに過ぎない。
言うまでもなく、ここで金閣へと向けられた溝口の強烈なエネルギーと重なるのは、"溝口役の人物"へと向けられた千人を超える女性客たちの熱愛のエネルギーである。客席を埋め尽くす彼女たちは、ちょうど溝口が金閣に対してそうであったように、主演の森田さんに耽溺し、理想を重ね、生きる生きがいとして崇め、執着し、自らを支配させているように見える。そしてそのエネルギーは本質的には良いも悪いもない、ただのエネルギーなのだ。だからこそ私は、とてつもないエネルギーがただそこに存在していることに、驚かされ、感心し、興味深く傍観するのだろう。つまるところ、先に書いた「うわー!すげー!」という正直な感嘆が示しているように、カーテンコールの場において私は舞台に立ちながらも、いつの間にか� ��観客」に変貌しているのである。
溝口が金閣となり…、観客が溝口となり…、金閣が観客となる…。
最後の最後に三者の間で立場が交換されるという、この三面鏡のような構造を持ったからくりを仕組んでみせる宮本亜門さんという人は恐るべき演出家である。この大どんでん返しを前には、溝口が観客に同化するというラストの演出を"リアリティ"を模倣するポーズだと疑問を抱く私の視点など、もはや偏狭なものでしかないだろう。やはり、この作品にはカーテンコールはなければならないし、客席は森田剛ファンで埋め尽くされなければならないのだ。
チラシの宣伝文句には「今という時代を生きるすべての人に、生きる目標・意味について切実な問いを投げかける」とあるが、その問いかけは劇中の芝居によってではなく、こうしたメタレベルで引き起こされる一連の現象によって果たされているように思われる。「金閣を生きる目標・意味」とする溝口の姿が、「天皇を生きる目標・意味」とした三島の分身であることは明らかだ。"無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国"となった現在の日本において、溝口と三島の姿に、「"溝口役の人物"を生きる目標・意味」とする女性客たちの姿を、劇場空間で直接重ね合わせてみせる試みこそが、この舞台における"リアリティ"への態度であり、最も重要なコンセプトとなっ� ��いるのは間違いない。
さて、公演を終えて自宅に帰ると、台所のテーブル上に何やら得たいの知れない黄色い物体が入ったボウルが放置されていた。「パ」ートナーの仕業だろう。さては私が帰る少し前まで黙々と料理の研究していたようである。一見しただけでは、その奇妙な黄色い物体が、トロトロの液体であるのか、はたまたフワフワの個体であるのか判別できなかった。別室でごろごろしている「パ」ートナーに、大きな声でその物体の正体を問いただす。
私:「ねぇ!この黄色いの何?蒸しパン?」
地雷ワード、"蒸しパン"、パ裂。
結局正解は、トロトロの液体、失敗したシチューだった。「何言ってんの?どう見てもシチューじゃん」と突っ込まれる私。
というわけで、ここまでの成績…。
積算上演日数:426日(前日比 +4日)
終演まで:394日(前日比 +3日)
終演見込み日:2012年3月1日(前日比 +4日)
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昼:きのこ焼きそば
夜:オムライス
『金閣寺』三日目。
連日公演が続いていると、「パ」ートナーとの会話も当然『金閣寺』の話題が多くなる。少々愚痴めいた本音から、笑い話まで…、私たちは時間の許すかぎり語り合う。
そして今日の話題も『金閣寺』。会話の内容を要約すると…
『金閣寺』は私の今まで関わった舞台の中で、最も商業的な舞台であることは間違いない。まるでビルでも建ててるかのように一切の無駄を排して建設的に進められていく制作のプロセスは、私の知っている舞台が生み出されていくプロセスとは根本から異なり、当初は随分戸惑ったものである。
しかし、そんな私にとって一つの光明となったのが、主演の森田さんの存在だった。いつの間にか私は、森田さんの舞台にかける透明で真摯な心に惹きつけられていた。そして、それに呼応しようとすることが、自然に私の現場でのモチベーションとなっていたのだった。このような想いは、私だけのものではなく、舞台に関わっている人全員に共有されているものと思われる。そのことが舞台裏の空気にも肌で感じられるのだ。
…私は「パ」ートナーに言った。
「森田さんが全体をやっぴゃり引っぱってるんだよね」
地雷ワード、「引っぱって」、パ裂。
一月十五日の日誌に記したように、私と「パ」ートナーの間では、地雷を踏むのを避けるため、「やっぱり」なら「やっぴゃり」、「パンツ」なら「ピャンツ」といった具合に、「パ」を「ピャ」と訛らせて発音する習慣が生まれていた。この法則でいけば、先の私の発言は…
「森田さんが全体をやっぴゃり引っぴゃってるんだよね」
…となるべきだったのだ。
私は「やっぱり」を「やっぴゃり」と訛らせることには成功していたが、訛りの狙いを「やっぱり」に定めることにばかり気を取られ、その直後に続く「引っぱって」を「引っぴゃって」と訛らせ損ねていたのだった。
というわけでここまでの成績…
積算上演日数:422日(前日比 +1日)
終演まで:391日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年2月26日(前日比 +1日)
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昼:赤飯弁当
夜:つけめん
『金閣寺』初日。無事、幕が開けた。
この日、客席に男性は一人もいなかったのではないか。カーテンコールで会場の照明が入り、総立ちのスタンディング・オーベーションとなった客席の様子が露になったとき、会場を埋め尽くしているのが100「パ」ーセント女性だったことには本当に驚愕した。ほとんどが主演の森田剛さんの熱狂的なファンの方々であるようだ。客席からスタンディング・オベーションをもらった経験は今までに何度かある。しかし明らかにこれはその感じとは違った。むしろ学校の朝礼の風景に似ていると思った。彼女たちの間ではカーテンコールでの起立が一つのマナーとして共有されているかのようだった。
「きゃ~~~っ!ごうく~ん!」
突如として飛び交う黄色い歓声。横浜公演(S席8,500円)だけで1300席×16公演分=20,800枚、地方公演(S席9,500円)も含めれば約44,000枚ものチケットが即日完売になったと聞いたとき、にわかには信じられなかったのだが、なるほどこういうことだったのか…。ここで経済を動かしているのは、芸術の力などではなく、恋愛の力だったのだ。
私は戸惑いながらも舞台から礼をした。しかし私は何に向かって礼をしたのだろう。
ちなみに私は『「パ」日誌メント』のチラシを全公演、全席分を印刷して折り込ませてもらっている。35,000人のうち、どれだけの人がこの作品を発見してくれるか分からない。カーテンコールの様子から察するに、恋は盲目と言うから、私のような者のチラシなど誰の目にもとまらずほとんどがゴミ箱行きだろう。しかし、一月六日の日誌にも記した通り、私は三島由紀夫の言葉をねじ曲げてでも自分の台詞から「パ」を排除した。私が舞台で『金閣寺』のキャストとして存在するときも、当然『「パ」日誌メント』の「パ」フォーマンスは続けられている。つまり、『金閣寺』を観劇する44,000人すべての観客が、それと知らずに『「パ」日誌メント』を観劇することになるのだ。すべての観客に渡された私の質素なチラシは、そのこと� ��ささやかに告げている。
公演終了後はロビーにて簡単な祝賀会が催された。神奈川芸術劇場の館長の挨拶で乾杯の音頭がとられた。
「乾杯!」
乾杯の唱和の中、私一人だけ「カンペ~!」と中国語風に訛った発音で叫びながらグラスを掲げ、出演者の方々と舞台の開幕を祝う。しかし私は午後10時から渋谷のユーロスペースでトークショーに参加する予定があったので、早々に歓談を切り上げて会場を後にする。帰り支度をしていると、制作の毛利さんが紹介したい方がいるとのことで行ってみると、映画監督の行定勲さんだった。初対面の方とご挨拶をするのはやはりほんの少し緊張するものだ。その微妙な緊張感が私の「パ」への予防線を緩くしたのだろう。丁度昨晩『金閣寺』のパンフレットに掲載されている宮本亜門さんと行定勲さんの対談を読んだばかりだった私は思わず口を滑らせてしまう。
私:「はじめまして…、あ、パンフレットの対談、拝見しました!」
地雷ワード、"パンフレット"、パ裂。
私:「あっ、いっちゃった…」
思わず、苦虫を噛み潰すような顔をしてしまう私。
行定監督:「えっ何をですか?あぁ、"パ"ね、ははは」
行定さんは誰からか既に『「パ」日誌メント』のことを聞いているようだった。変な挨拶になってしまったことが胸にひっかかりつつも、神奈川芸術劇場を後にして、車で高速道路を飛ばす。ユーロスペースで予定されていたトークショーとは、私も出演している映画「We don`t care about music anyway…」の上映にあたって催されたものだった。参加者は監督のガスパールさん、チェリストの坂本弘道さん、音楽監督のノアさん、私の四人。
どうしてもトークの中では「パフォーマンス」という単語を使う必要が出てくるのだが。そこで私は、監督がフランス人であることから、「パフォーマンス」を、フランス語風に訛らせて「ペルフォーマンス」と発音するようにしていた。しかし公演の疲れが祟ってか、話がのってきた所でその作戦も空しく、「パフォーマンス」と口を滑らせてしまう。
地雷ワード、"パフォーマンス"、パ裂。
それに加えて、今までも散々パ裂させてきた地雷ワード、"やっぱり"もその直後にパ裂。
トークショーのお客さんの中には、この『「パ」日誌メント』のことを既に知っている方も多かったようで、これらの「パ」裂への反応が良く、地雷の踏みごたえがあって嬉しかった。
ここまでの成績…
積算上演日数:421日(前日比 +3日)
終演まで:392日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月25日(前日比 +3日)
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昼:豚の生姜焼き、白米、福神漬け
夜:ココナッツカレー、豆乳ハンバーグ、サーモンとルッコラのサラダ、野菜のミネストローネ
ゲネプロを前日に控え、現場は慌ただしくなっている。楽屋に入ると演出助手の方が訪れてきて、一つ相談があると言う。舞台では高所で不安定な姿勢のままホーメイを歌うシーンがあるのだが、昨日スタッフが実際に登って確認してみたところ、その場所で歌うのは危ないと判断したとのことで、そのシーンでのホーメイは事前に録音したものを流したいというのだ。
それはつまり、「口パク」でやってくれということである。私はライブに生きてきた人間だ。だから舞台では、その瞬間、その場で声が発せられることに強いこだわりがある。これは私自身の目には近すぎて見えないほど、自分にとって当たり前のこだわりとなっていて、だからこそ「口パク」という提案をさらりとされたことは大きなショックだった。私の声が録音でよいのなら、生身の私が舞台に立つ必要などない。劇場に流される自分の声に合わせて、私が自分を演じてみせるとき、その不条理な一致は私の自己同一性を崩壊させるだろう。
後から考えれば「口パク」というのは私の身の安全を考慮して下さっての提案なのだが、その時、私は内心、激昂していた。不自然に押し殺した低い声で言う。
「あの…、やっぱり僕は役者じゃなくて、ライブミュージシャンなのでぇ、生で声を出してナンボなんですよ…。そうでなければ僕のこの舞台での存在意義はないと思うんですよね。分かります?だからあのシーンは絶対に生でやります。」
トッププロデューサーファームの雑誌「パ」への予防線がおろそかになるのはこんな風に感情的になってしまった時である。
地雷ワード、"やっぱり"、パ裂。
私の希望は聞き入れられ、問題のシーンは生でいくことになった。舞台へまわり、実際にその場所へ登ってみる…。さっきは強く出てしまったものの、確かに上は足場も狭く不安定である。その状態で腹に力を入れて歌うのは容易ではないことがよく分かった。
「やっぱ、こわいっすね…」
地雷ワード、"やっぱ"、パ裂。
尚かつ私の乗っかっている装置には稼動するしかけがあるので、その動きによってかかる体への力を想定しながら…
「僕の心配しているのは、こう動いた時、体がこうなることなんですよ…」
地雷ワード、"心配"、パ裂。
本番直前の現場では、体も、神経も、言葉も使う。すると自然に「パ」災報知器の方もおろそかになり、今日は3回も地雷ワードを踏んでしまった。
というわけで…
積算公演日数:418日(前日比 +3日)
終演まで:391日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月22日(前日比 +3日)
Categories: 契約違反日
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昼:ラーメン、餃子
夜:豆乳ハンバーグ、ポテトとベーコンのローズマリー炒め、サーモンとルッコラのサラダ、野菜のミネストローネ
年が「パ」けて以来、やっと平日の昼間に時間がとれたので銀行へ。「パ」の買い主からは昨年のうちに「パ」の代金¥1,000,000が私の口座に振り込まれていたのだが、そのお金を最初の預け入れ金として新たに口座を開設するため、窓口へ出向く。
口座開設申し込み用紙に必要事項を記入し、カウンターへ。すると、銀行員に開設の理由を尋ねられた。しかし考えてみれば「パ」に支払われたお金は他とは別にしておきたい、という漠然とした理由以外、口座開設の理由らしい理由は見当たらない。返答に困る私。
銀行員:「貯金ですか?」
私:「あっ、そうかも…。普通に言えば、そういうことになるかも知れません。」
曖昧な返答に怪訝な顔をされつつも、何とか無事に口座開設は認められ、私はまっさらな預金通帳を受け取ることができた。通帳を開いてみると最初のページに「1,000,000」という数字が冷たく、ただ整然と印刷されている。
果たしてこの取引によって何が動いたのだろう?と思った。私の「パ」…、そしてこの通帳に記入された「1,000,000」という数字…、交換されたそれらの実体はどこにあるのだろう?
「パ」の買い主は、私から「パ」を買ったことを直接的には確認することができない。私の「パ」の所有権が自らの手に渡ったことを証明するのは、誓約書という一枚の頼りない紙切れである。私は私で、自分の「パ」という音節と交換された¥1,000,000という価値を、通帳に印刷された数字の羅列でしか確認することができない。あるいは口座から現金を引き出して100枚の万札を手にしてみたら、自分の「パ」と交換された価値を実感することができるのだろうか…。もしかしたらそれで何らかの実感のようなものは得られるかも知れないが、本来的にはその紙幣も私が書いた誓約書も同じ紙切れにすぎないはずだ。端的に言えば『「パ」日誌メント』で交換されたのは紙なのだ。しかし紙幣という紙が単なる紙ではなく、呪いがか� ��られた紙であることを私たちは知っている。札束を手にしたときに得られる実感らしきものは、まさにその呪いの仕業である。それと同じように私の書いた誓約書にも呪いがかけられている。ただし、その呪いは私の力によってかけられたのではない。むしろ、買い主によってかけられたと言えるだろう。つまりアートへの信仰のもと、¥1,000,000という価値と交換された時点ではじめて私の書いた誓約書は呪いの紙と化したのだ。
紙幣が単なる紙だとその正体を暴いたところで、呪いが解かれることはないだろう。それほどまでにその呪いは私たちの社会にとって自明なものとなっていて、誰もその呪縛から自由ではない。だから私は「パ」の対価として支払われた¥1,000,000を、誰とでもその金額に相当するとされる価値と交換することができるのだ。さて、何を買おうか?車?ロレックス?豪勢に海外旅行にでも行くか?キャビアでもたらふく喰うか?あるいはアート作品でも買おうか?…そんな風に金の使い道を妄想するのは楽しいものだ。しかし私がそのつもりならば、銀行員に「貯金です」と即答することができただろう。私がわざわざ新しい口座を開設してまでこの¥1,000,000を隔離ようと思ったのは、おそらく、アート市場で得たお金を、自分の生活のお� ��と一緒にしておくことで、知らず知らずの内にまた資本主義経済のサイクルの中へと消費する形で還元してしまいたくなかったからなのだろう。
私はアートの呪いを信じているのだと思う。貨幣の呪いによって生じる資本主義経済のサイクルを生きる自分に、アートの呪いを遠心力として作用させることで、そのサイクルの軌道から一瞬でも飛び出し、何か別のサイクルに触れたいのだと思う。そのためにこのお金は使われるべきである。
私の「パ」は¥1,000,000に化けた。そしてまたこの¥1,000,000が、数字を超えた別の価値に化ける日がきっと来るはずだ。その日が来るまで、私は買い主から支払われたこのお金には手をつけないと心に決めている。それまでこの¥1,000,000は、実際の振動として発せられることのない私の「パ」という声と同じように、あるいはまだ産まれない胎児のように、「銀行口座」という仮想の空間で潜勢し続ける。
かくして、私は「パ」に支払われた¥1,000,000を「貯金」した。
さて、話は変わるが、最近iphoneの調子が悪い。Softbankのサポートセンターに電話してみたものの、一向にらちがあかない。先方の応対に少しイライラして、技術的に込み入った話になってきたところで、口が滑った。
地雷ワード"電波"、パ裂。
積算上演日数:415日(前日比 +1日)
終演まで:389日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年2月19日(前日比 +1日)
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昼:おにぎり(えびマヨ、とりめし)
夜:ネギ塩カルビ、プチトマト、たまご焼き、ほうれん草のごまあえ、コロッケ。野菜の酢もの、柴漬け、梅干し、白米
神奈川芸術劇場のホールは、面積、横幅こそさほどでもないのだが、天井高、舞台奥行きともに30m近くもあり、その空間に立つと最新鋭の設備を備えた大きな谷の深淵にいるようだ。役者たちがその谷底でじたばたと芝居の稽古をしているの見ていると、水槽の中で泳ぐめだかたちを眺めているような気分になってくる。
『金閣寺』では私が上空に吊られるシーンがあるのだが、今日はそのテスト。「ハーネス」と呼ばれるオムツのような器具を装着し、舞台真上に設置された仮設通路へとよじ上り、そこからワイヤーで吊られながら降りていく。
絶対に谷底へと落下することがないよう、しっかりと安全確認をして、舞台監督やスタッフのことを信頼しているつもりでも、いざ吊られてみると自分の中に高所への恐れという本能が棲んでいることを思い知らされる。たとえ舞台の構成員である「キャスト」としての私が、吊られることを「YES」としていても、いざ吊られてみると、本当の私は「NO」と言っていたということを、全身の細胞が知らせてくるのである。地球上のあらゆるものがこの重力という絶対的な力に服従しながら生きている。私の身体がモノとして宙吊りにされようとするとき、私の体中の細胞は、「演劇」という作為がこの「重力」という絶対的な摂理に反抗しようとしていることへの罪悪感でざわめくのだ。私の「恐れ」とは本能的なものであると同時に、� �の罪悪に与えられるかも知れない罰への恐れでもあるのだろう。この恐れを根本的に超克する方法は、「絶対に落ちない」と自分を騙して本能を麻痺させるか、「落ちて死んでも本望」と覚悟を決めるかの、どちらかしかないのだ。
ふと昨年末に観た『ZED』のことを思い出す。絢爛豪華な衣装を身にまとい、驚くべき技術で鳥のように舞台上空を舞い廻る「パ」フォーマーたち…。そのとき、思わず舞台上空に情けなく吊られた格好のまま口が滑った。
「やっぱりシルクドソレイユってすごいなぁ…」
地雷ワード、"やっぱり"、パ裂。
初日まで一週間を切り、現場はだんだん慌ただしくなってきている。その慌ただしさに飲まれるように、つい私も慌ただしい気持ちになってしまう。その後も音楽担当の福岡さんに電話しながら口が滑る。
「やっぱりねぇ、現場に来て音を合わせてみなきゃ分かんないですよ。」
またしても宿敵「やっぱり」である。
ここまでの成績…。
積算上演日数:414日(前日比 +2日)
終演まで:391日(前日比 +1日)
終演見込み日:2012年2月18日(前日比 +2日)
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昼:焼き肉、唐揚げ、マッシュポテト、昆布、梅干し、白米
夜:ぶた肉とナスのしょうが炒め、たまごスープ、納豆、たまご、玄米ご飯
芸大の日。
"東京"芸術大学とは言っても、私が勤務しているのは上野校地ではなく、茨城県の取手校地の方である。利根川の雄大な流れが一望できるのが最大の魅力だが、とにかく遠いのが難点である。自宅からドア・トゥ・ドアで車なら片道二時間、電車とバスなら二時間半、芸大に出勤する日はちょっとした旅の覚悟が必要だ。今までは車で通勤するのが常であり、一昨日、失効していた運転免許も取得し直したのだが、車なしの生活を続けていたことで電車通勤も悪くないと思えてきて、今日は線路に揺られてのんびりと通勤することにした。座れさえすれば日誌を書いたり思案にふけったりと、長い通勤時間を有効に使えるものだ。
冬の日は短い。大学での仕事を終え、今日一日地雷ワードを踏まなかったことにほっと安堵しながら、遥か遠方の自宅に帰るため、支度をする。コートを着込み、鞄をかつぎ、校舎の外へ出てみると、まだ午後六時前だというのに、辺りは闇に包まれていた。いつもなら自分の車に乗り込んで高速道路を飛ばして帰るのだが、今日は学生たちに混じって冬の冷気に身を縮め、真っ暗な停留所でバスを待つ。
すると、暗闇の中から私を呼ぶ声が聞こえた。目を凝らしてみると八谷和彦さんが立っている。八谷さんは一昨年急逝された渡辺好明先生の穴を埋める形で、今年から芸大に就任されたのだった。八谷さんとは以前から知り合いだが、芸大で合うのは今日が初めてだった。
バスが到着し、前後の座席に並んで座って八谷さんと会話する。私の脳内では例によって「パ」災報知器のセンサーが作動しはじめる。バスから電車に乗り換えて、取手駅から北千住駅へ向かう車内でも、脳は忙しく「パ」災を警戒しながらも、話は弾んでいった。大学のこと、アート全般のこと…。そして八谷さんともばったり会った飴屋法水さんの作品「わたしのすがた」のこと。「わたしのすがた」は私にとっても近年観た作品の中でも最も感動した作品で、作品のことを話しているうちについ夢中になり、例の言葉が口を滑ってこぼれ出た。
私:「やっぱり飴屋さんの作品って…」
地雷ワード、"やっぱり"、パ裂。
私:「あっ、今、僕、言ってしまいました…」
八谷さん:「えっ、何をですか?」
私:「ハに○のついた音をです…」
八谷さん:「はぁ…」
私は八谷さんに『「パ」日誌メント』について説明し、北千住の駅で別れた。
それにしても、やっぱりこの言葉である。これまで踏んだ地雷総数46回の内、11回、つまり24%をこの「やっぱり」が占める。
ここまでの成績…
積算上演日数:411日(前日比 +1)
終演まで:392日 (前日比 ±0)
終演予定日:2012年2月15日 (前日比 +1)
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朝:コロッケカレー
夜:ラーメン、餃子、ビール
今日は失効した運転免許を再発行するため、早朝に起きて運転免許試験場へ出向く。私は違反運転者にあたるとのことで二時間の講習を受けねばならなかった。警察関係の施設というのはどうも苦手だ。よく分からない理由で受付の婦警さんに説教されるし…。しかし講習の担当講師は随分人情派で、悲しい交通事故の逸話を浪花節ばりの調子で語るものだから、思わずぽろぽろ泣かされてしまった。小さな子供が交通事故に巻き込まれるのはいたたまれない。先日は無免許で運転しようとしたけれど、やっぱり交通ルールは守ろう、と固く胸に誓ったのであった。
晴れて新しい免許を受け取り、午後は『金閣寺』の稽古場へ。
今日は衣装合わせだった。出演者たちがどんどん目に見えて本番らしい姿になっていく。その変貌ぶりを眺めているだけで面白い。今回の舞台では、舞踏集団『大駱駝艦』の方々ともご一緒するのだが、その大駱駝艦の中でも一番ガタイが良く、ドープな風貌の湯山さんが、少し猫背ぎみの姿勢でパーカーのフードを深々と被ったとき、ふとその背後にサウスブロンクスの風景が見えた気がした。
思わず唸る私。「おぉ~、思いっきりラッパーですねぇ…」
地雷ワード、"ラッパー"、パ裂。
そういえば昔「パラッパラッパー」というプレステのゲームがあったな…。確か「パラッパ」という犬がラッパーという設定で、ボタンを押してラップさせて遊ぶゲームだったような。で、その「パラッパ」のお父さんが「パラッパパパ」という名前だったような…。
そうこうしていると、仕事先の「パ」ートナーからメールが届く。泣きっ面の絵文字と共に「今日は朝からお腹が痛い」とのメッセージ。休憩時間に電話をかけてみると、電話越しの声はいつもより元気がない。
気がかりで唸る私。「うーん大丈夫?心配だね…。」
地雷ワード、"心配"、パ裂。
一昨日に続いてまたこの言葉か…。「やっぱり」に次いで警戒すべきは、この"心配"かも知れない。とりあえず「パ」ートナーには胃薬「ガスター」を飲むようアドバイスしてまた稽古へ…。
私はライブ「パ」フォーマンスで生きて来た人間なので、舞台では少々荒っぽくとも自分の身体を酷使するのと同じように、マイクという道具も酷使されて然るべきだと考えている。だから今日はあるシーンでマイクをゴトっという音とともに床へ落としたくなり、実際に通し稽古のときにやってみたのだが、音響さんからNGが出てとめられてしまった。それでも私はどうしてもそこでマイクは落ちるべきだと思ったので、思わず「こんなことではマイクは壊れません」と食い下がった。音響さんにとっては精密機器としてきちんと管理するのがマイクへの愛情なのだろう。しかし私にとってのマイクへの愛情とは、舞台の上で自らの一部としてそれと運命を共にすることである。マイクにとっては一体どちらが幸せなのだろう…。
私が普段愛用しているマイクは「SHURE BETA87A」というコンデンサーマイクだ。しかし今回は演劇という舞台の性格上、マイク類はすべて無線でなければならず、SENNHEIZERのSKM5200という本体に、MD5235という型番のカプセルをセットしたワイヤレスマイクを用意していただいている。あまりライブハウスなどでは見かけないタイプなので、ネットでいろいろ調べてみたところ、本体とカプセル合わせて60万円ほどする代物らしい。私の「パ」365日で¥1,000.000だから、ざっと計算すると、このマイク1本で私の「パ」219日分ということになる。なるほど音響さんが嫌がるのも無理はない…。
どうしたものかと唸る私。「うーん、そうですか…。"ごっぱち"みたいな訳にはいかないんですかねぇ…。」
地雷ワード、"ごっぱち"、パ裂。
「ごっぱち」とは丈夫なことで定評のある業界標準マイク「SHURE SM58」の通称である。そこらの楽器屋でも一万円足らずで買えるだろう。中には「ごーはち」と呼ぶ人もいるが、圧倒的に「ごっぱち」あるいは「ごっぱー」と呼ぶ人の方が多い。それはさておき、この「ごっぱち」にしろ、先の「ラッパー」にしろ、以前の日誌で論じた「やっぱり」や「引っぱる」に引き続き、今日も「っ」と「パ」の因縁的な結びつきによって苦しめられた一日であった。
積算上演日数:410日(前日比 +3日)
終演まで:393日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月14日(前日比 +3日)
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朝:納豆、たまご、玄米ごはん
夜:豚肉とピーマンのオイスターソース炒め、ナスのマーボーはるさめ、豆乳スープ、玄米ご飯
元来私はまめな性格ではないのだが、「パ」ートナーには小まめにケータイからメールするよう努めている。ところが昨晩、携帯電話の充電して寝るのを忘れてしまい、今日は外出して早々に充電が切れてしまった。「パ」ートナーは一般的に言えば「心配性」と呼ばれる性格の持ち主である。音信が途絶えたことで、今頃ひどく心配しているだろうと想像されて、そのことが私をそわそわと落ち着かなくさせていた。こんなことがまた諍いの火種にならなければ良いのだが…。
ともあれ、今日も『金閣寺』の稽古を終え、電車に乗ったとき、ばったりとチェルフィッチュの岡田さんと、一昨年の『4.48サイコシス』で共演したリキちゃんのお二人に出会う。そうだチェルフィッチュも神奈川芸術劇場で2月に公演を控えているのだった。
岡田さん:「あ、それポメラですか?」
「ポメラ」とは、折りたたみ式のキーボードのついた電子メモ帳のことである。移動中「パ」日誌を書くために私はこれを愛用している。
私:「あっ…あぁ、ポ、ポ、ポメラです」
「ポ」という破裂音にびくびくしながら、私は『金閣寺』の主人公、溝口のように吃った。自分よ落ち着け。「ポ」はセーフ…、セーフなのだ。
岡田さんとの会話の最中、私の脳内ではずっと「パ」災報知器のセンサーが働き続けていた。始終自分が発言しようとしているセンテンスの中に「パ」が含まれていないか高速でスキャンする。そしてセンテンスの中に例えば「やっぱり」という言葉が発見されると、それを実際に言ってしまうぎりぎり直前でリミッターが作動し「やっpp…p、、、」と未然に地雷の「パ」裂が防がれるしくみだ。こんなとき、まったく頭の良さそうなことは発言はできていなくとも、実際にはものすごく頭を使って話しているのである。しかし会話の相手は誰もそのことに気付かない。
私は電車を降りて「パ」ートナーの家に向かった。ここ最近の私の貧しい食生活を見かねて、今日は手料理をつくってくれることになっているのだ。しかし駅から歩き慣れた道を歩く私の足どりは、いつもよりなんだか重かった。ずっと携帯が繋がらなかったことが気がかりだ。怒ってなければいいけれど…。とにかく何としてでも喧嘩は避けたい。私たちの場合、一旦喧嘩が勃発すると、シャレにならないほどのエネルギーを消費することになる…。
「パ」ートナーの家に着く。そして玄関の戸を開ける。出迎えた「パ」ートナーの顔を見るなり口が滑った。
「ごめんっ!心配した?心配した?」
地雷ワード"心配"×2、パ裂。
きょとんとした顔をする「パ」ートナー。
「あれ?何?今日「パ」日誌メントお休みなの?」
すべては私の取り越し苦労だった。「パ」ートナーは、私が何の躊躇もなく、あまりにはっきりと、しかも2回連続で「心配」という言葉を吐いたので、てっきり今日一日だけ「パ」の呪縛から解かれる安息日か何かと勘違いしたようだ。「パ」の呪縛から解かれる安息日か…、いいなぁ、そんな日があればどんなに良いだろう。
私が日常で一番会話を交わす機会が多いのは、間違いなく「パ」ートナーである。そうなると必然的に「パ」ートナーとの会話の最中に地雷を踏む確率が一番高くなる。その対策として、彼女自身も「パ」を口にすることを自らに禁じ、私と一緒になってこの『「パ」日誌メント』に付き合ってくれている。これぞ、ほんとの"「パ」ートナー"。下手な冗談はさておき、そんな日々を送るうちに、私たち二人の間にはコミュニケーションを潤滑にするために、いつの間にか「パ」を「ピャ」という音に置き換えて発音する言語環境が生まれはじめていた。例えば「心配」なら「しんぴゃい」、「やっぱり」なら「やっぴゃり」「パンツ」なら「ピャンツ」といった具合である。この法則でいけば、先の私の発言は「ごめんっ!しんぴゃ� ��した?しんぴゃいした?」となるべきだったろう。お気付きの通り、この訛りの法則はほとんど"赤ちゃん語"に聞こえてしまうので何とも照れくさいのだが、それもまた親密な者同士に許された共通言語のような感じがして悪くない。しかも二人でピャッピャ言っている内に、なんだか無邪気な気分にすらなってくる。
「パ」ートナーの手料理は美味かった。美味な料理の並ぶ食卓は人を幸福にする。すっかりいい気分になった私たちは、食後、鼻歌を歌いながら皿を洗った。「ピャ」の効能もあってか、なんだか無邪気な気分だった。そして炒め物に使ったフライパンを洗おうと、鼻を鳴らしながら流しのお湯の温度を調節していたその時、私は訛らせるべき音節を取り違えた。
私:「フリャイパァ~ン♪フリャイパァ~ン♪」
「パ」ートナー」:「ちょっ、ちょっと!パって言ってる!パって言ってる!」
地雷ワード:フリャイパン(フライパン)×2
自分よ、それを言うなら「フライピャン」だろ…。
というわけで、現時点での成績…
積算上演日数:407(前日比 +4)
終演まで:392 (前日比 +3)
終演見込み日:2012年2月11日(前日比 +4)
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朝:納豆、たまご、玄米ご飯
夜:にんにくおろしの豚肉ローズマリー焼き、豆乳としょうがの野菜スープ、玄米ご飯、キムチ
ブラウザで開かれたウェブサイトのある画像を、「パ」ソコンに保存しようとした。マウスでカーソルを操作して、目当ての画像をブラウザからデスクトップの方へと"ドラッグ&ドロップ"でもってくる。画像を手放してしまわぬよう、マウスのボタンはしっかりと押しっ「パ」なしにした状態を保ったまま慎重にスライドさせ、デスクトップ上のここだという地点に来たら「パッ」と手を放す…。そんな要領で作業していた時、思わず口が滑った。
「えーと、この画像を引っぱってきて、と…」
地雷ワード"引っぱる"「パ」裂。
データをダウンロードする際に、よく「落とす」という言葉が使われるが、こんなダウンロードのやり方はウェブから「落とす」のではなく、明らかに「引っぱってくる」感覚だ。"ドラッグ&ドロップ"の"ドラッグ(drag)"は、直訳すると「引きずる」という意味だが、状況によっては「引っぱる」とも訳され得る。「引きずる(引き擦る・引き摺る)」にしろ、「引っぱる(引っ張る)」にしろ、摩擦力か張力かという性質の違いがあるものの、何かを「引っぱる」ときの物理的な抵抗のニュアンスが込められている点では共通していると言えるだろう。上記のようなシチュエーションでは、ドラッグの過程でマウスのボタンをうっかり放してしまうと、画像はゴムに引っぱられるようにして元の場所へと引き戻され、操作が完了し� ��かったことが直感的に分かるように示される。このようなコンピューターのヴァーチャルな振る舞いに、私の生理的感覚はまんまと騙されて、画像を物理的に「引っぱっている」と信じ込む。そこに摩擦力や張力といった抵抗など存在しないにも関わらず、マウスをスライドさせる手や、ボタンを押す指にも自然と無駄な力が入ってしまうのだ。
しかし、「ウェブから画像を引っぱってくる」とは言うけれど、「ウェブから画像を引いてくる」と言いにくいのは何故だろう。「引っぱる(引っ張る)」と「引く」とは、意味的にほぼ同じようなでいて、感覚的にはだいぶ異なるように思われる。「引っぱる(引っ張る)」には、「張る」という言葉が含まれている通り、何かが張りつめたようなテンションが感じられるが、「引く」には取り立ててそのようなテンションは感じられない。「引く」は「引っぱる」に比べてもっとニュートラルな印象だ。
「人」の例えで考えてみると、「人」に対して「引く」という動詞が使われる場合、「気を引く(惹く)」「人目を引く」「注意を引く」といった具合に、引く者と、引かれる者の間には、一定の距離が保たれていて、引く者が引かれる者を自然に「引きつけて」、あるいは「引きよせて」いるようなニュアンスが感じられる。「手を引く」と言った場合でもそこには物理的な接触があるものの、引かれる者の自発的な歩調への配慮は保たれていて、引く者の腕力が引かれる者の動く力に直接作用しているわけではない。だから「手を引く」は、「牽引」ではなく「誘導」なのだと思う。
それに対して私たちが"人を「引っぱる」"と言うとき、そこには物理的な腕力や、筋力が働いている感じがする。組織においてリーダーが部下を「引っぱる」、あるいは恋愛において男が女を「引っぱる」と言ったとき、そこには強い者が弱い者の手をむんずと掴み、場合によっては手綱でも取り付けて、ぐいぐいと「引っぱる」ような、そんな強引で力づくのニュアンスが感じられる。それはもはや「誘導」というより「牽引」といった印象だ。そこに物理的な接触がなくとも、引かれる者を動かしているのは、引く者の腕力や筋力といった物理的な力であるかのようだ。
どのようにシェブロンは、株式保有者と感情的になりますでしょうか?だから「ウェブから画像を引っぱってくる」という表現が相応しく思えるのは、例えそれがヴァーチャルなものであろうとも、そこに思わず筋肉が力んでしまうような物理的な「張り」があるからだろう。
そう考えると、「引っぱる(引っ張る)」にはあって、「引く」にはないテンションのニュアンスは、「引っぱる(引っ張る)」ときに体感される筋肉の肉体的「張り」や、綱引きで綱が引っ張られてぴんとするような物理的「張り」に由来すると考えられる。
確かにそうかも知れない。しかし、それだけではない気がするのだ。「引っぱる(引っ張る)」は「引きはる(引き張る)」が音便化したものだが、「引っぱる(引っ張る)」の「張る(パる)」が、筋肉や綱の「"張り(ハり)」に由来するというならば、わざわざ「引っ"パる"」と訛らずに、「引き"ハる"」のままでも良かったはずだ。それなら私も地雷を踏まずに済んだというものだ。「引きはる(引き張る)」から「引っぱる(引っ張る)」へと音便化が起こった決定的な理由がまだあるはずだ。
私たちの体は筋肉にテンションがかかればかかるほど、自然にそれと連動して呼吸にもテンションがかかるようにできている。「気張り(きばり)」とはこういう状態のことを言うのだろう。例えば綱引きで力いっぱい綱を「引っぱって」「気張る」とき、筋肉や綱の「張り」に呼応して、「っ」という促音とともに私たちの呼吸も一時的に停まっているはずである。つまり「引っぱる(引っ張る)」に含まれる「っ」という促音は、私たちが力を込めて「引っぱって(引っ張って)」「気張る」ときの呼吸の状態を、そのまま音として反映したものなのだ。そしてここでも「っ」という呼吸の真空状態は、"あの音"によって美しく破られることを欲するだろう。「ひっ"ハ"る」という不抜けた形でも、「ひっ"バ"る」という濁っ� ��形でもなく、「ひっ"パ"る」という最も理にかなった美しい形で。
ここまでの成績…
積算上演日数:403 (前日比+1日)
終演まで:389日 (前日比±0日)
終演見込み日:2012年2月7日 (前日比+1日)
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昼:ビビンバ
夜:トマト鍋、玄米ご飯
私は多摩美大で週に一コマ、講義を担当している。履修者は330名を数え、大学でも一番大きな講堂で開講される講義なのだが、こともあろうか、授業名を『パフォーミング・アーツ論』というのだ。むろん、これは私が決めた講義名ではない。
『パフォーミング・アーツ論』は、「パ」フォーマンスについての講義にも関わらず、今年から担当教員が一切「パ」と口にできないという奇天烈な講義になってしまった。そんなことで果たして今後授業が成立するのかどうか、かく言う私も甚だ疑問だが、とにかく今日は年が「パ」けて初めての『パフォーミング・アーツ論』開講の日だった。
まず授業の最初の時点で、スクリーンに「パ」の字を大写しにしながらアナウンスする。
「えー、あけましておめでとうございます。昨年最後の授業でも話しましたが、僕は今年からこの音を言えなくなってしまいました。ただ、それではこの講義の名前すら言えなくなってしまうので、この授業ではこの音のことを"ハ"に○がついている音ということから、「ハマル」と発音したいと思います。ですから、この講義の名前は今後"ハマルフォーミング・アーツ論"と言うことになります。」
大講堂を微妙な空気が漂う。これだけの人数の人間が同時に苦笑する現場に私は初めて立ち会ったと思った。しかし私がこのような弁解をすることそのものが、『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだろう。そして「パ」フォーマンスというものが、何か"特別な時間と空気"を創りだすものならば、今まさにここにある微妙な空気こそが、『「パ」日誌メント』におけるその"特別な時間と空気"にあたるのだろう。
私にとっては教壇も舞台も変わらない。だから『パフォーミング・アーツ論』では、基本的な教養を押さえつつ、私自身や学生たちによるの実演も積極的に盛り込んでいる。小難しいことを語るより、そっちの方がずっと面白い。そして今日は学生たちが自らの「パ」フォーマンスを発表する機会を設けたのだった。
「今日は学生によるハマルフォーマンスの上演を二つ予定しています。ただちょっと準備が必要になるので、今から10分間準備をさせてください。今から10分後というと…えーっと、10時58分ですね。10時58分から、パフォーマンスをはじめたいと思いま…あぁっー!言っちゃった!」
地雷ワード1、"パフォーマンス"、パ裂。
大講堂の教壇で空しく頭を抱える私。ざわつく学生たち。
「す、すいません…。早速言ってしまった…。」
何とか平静を取り戻そうとする。
そうだ、そうなのだ。これこそが『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだ。私の失敗に歪んだ顔や、嘆く声そのものが、この「パ」フォーマンスの最大の見どころなのだろう。それに対して与えられたこの大講堂でのざわめきは、大ホールで上演された舞台における喝采にあたるのだろう。つまり私が失敗することによって、この「パ」フォーマンスは成功する。この「パ」フォーマンスが持つ本質的な「パ」ラドクスに、私は年が「パ」けてから初めて気がついた…。主よ、何故私をお見捨てになったのですか?。何故このような"Punishment"を私にお与えになるのですか?。
そして、予告した10時58分。学生たちの「パ」フォーマンスの上演が開始された。二つとも非常にクオリティの高い「パ」フォーマンスで、私は授業であることを忘れて楽しんだ。各「パ」フォーマンス終演後は私から簡単な講評を述べる。講評の最中も先の失敗を繰り返さぬよう、「ハマルフォーマンス…、ハマルフォーマンス…」と常に頭の中でこの言葉を意識しながら発言する。なんとも心地の悪い響きだが、それでも繰り返し「ハマルフォーマンス」と言い続けている内に、私ばかりか講評で対話している学生の方まで「パ」と言ってしまうことに慎重になり、つられて「ハマルフォーマンス」という言葉を使いはじめるから不思議だ。
しかし、この時私は「ハマルフォーマンス」という言葉に執心し過ぎていた。"「パ」フォーマンス"という地雷ワードを踏まないことにとらわれて、昨日の日誌で書いた、あの地雷ワードへの予防線がおろそかになっていたのである。
出た、地雷ワード、"やっぱり"
しかも、この授業内で3回もである。
そして授業終了後、教員室で佐々木先生と世話話をしているときに駄目押しの4回目。
地雷ワード、"やっぱり"、痛恨の4連"パ"つ。
今日はこれだけでなく、多摩美での『パフォーミング・アーツ論』終了後、女子美へ出向いて特別講義をすることになっていた。しかしあまりの自分の体たらくに、果たして女子美できちんと講義ができるのか不安だった。女子美は女子大なので当然学生は全員女子である。大学の敷地内では、"男"であるというだけで特異な存在なのに、私はそれに輪をかけて"「パ」と言えない男"なのだ。
多摩美での授業と同じく、私はまず最初に「パ」の字をスクリーンに大写して、一切「パ」と口にすることができなことの弁解…いや、この『「パ」日誌メント』の作品解説からはじめた。しかし何故だか分からないが、この時の私は多摩美のときとは打って変わって、「ハマルフォーマンス」という言葉にとらわれすぎることなく、落ち着いて「パ」を避けられていた。「やっぱり」への予防線もちゃんと張れていた。それだけでなく、伝えたいことを説明するのに最も適した言葉を、瞬間、瞬間でリアルタイムに推敲できていた。この時脳内では「パ」に対しての慎重さが、言葉に対する思慮深さへと上手く繋がっていたのだと思う。この感じ、この感じである。この感じを自分が発語するときの基本的な状態として習得すれば、私� ��未来は明るいだろう。こうして女子美での講義は一度も地雷を踏まずに終えることができた。
特別講義終了後、講義を受けていた学生と同じバスに乗り合わせた。その学生はつい最近までフィンランドに留学していたとのことである。バスの車内を暖める暖房が気だるくも心地良く、ついぼーっとしながら話していたそのとき、今日最後の地雷ワードを踏んでしまった。
地雷ワード"ヨーロッパ"
ここまでで計6回の"パ"裂。
今日は1月2日に並んで『「パ」日誌メント』始まって以来の最多"パ"裂記録だった。終演見込み日も2012年の2月に食い込んだ。
というわけで今日の結果…
積算上演日数:402日
終演まで:390日
終演見込み日:2012年2月6日
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朝:ミックスサンド
昼:おろしハンバーグ、唐揚げ、キャベツ、ほうれん草のごま和え、みそ汁、白米
夜:サーロインステーキ、梅とわかめのサラダ、ほうれん草、コーン、ポテト、みそ汁、白米、たくあん
芸大で授業の日。
学生を指導する会話のなかで、この「パ」フォーマンスはじまってから最も「パ」裂頻度の高い地雷ワードを、またしても踏んでしまう。
この言葉だ。
【やっぱり】
1)ある事態や状況が、他と同じだったり、もとのままだったりする様子。
2)あらかじめ予期された状態と同じである様子。
3)いろいろ考えられても、あるいはさまざまないきさつがあっても、結局は最初と同じ結果となる様子。
自信を持って言おう。日本人が日々使っている「パ」が含まれた言葉の中で、最も多く口にされているのは、間違いなくこの言葉だ。
私は『「パ」日誌メント』がはじまって以来、この「やっぱり」を何とか封じ込めようと躍起になっている。「やっぱり」が日常生活の中で最も頻出する地雷ワードである以上、やっぱり、これを駆逐しないことには解放される日は永遠に来ないからだ。しかしそれでもやっぱり、この「やっぱり」はしぶとくて、ことあるごとに口癖のようにしてぽろりとこぼれ落ちてくる。ついつい「やっぱり、それって…」とか、「やっぱさぁ…」とかいった調子で話しはじめていることの何と多いことだろう。会話の中で自分の発言に説得力を持たせ、ほんの少しだけ強引に聞き手の賛同を得ようとするとき、私たちはこの「やっぱり」という副詞をほとんど感動詞のような扱いで無意識的に吐いている。恐るべし「やっぱり」。
この「やっぱり」を何とか封じ込めるための一つの手だてとして、私は「やっぱり」を捨て、同じ意味を持つ「やはり」という言葉を代わりに使おうと思った。しかし、それがどうしても上手くいかないのだ。同じ意味を持つ言葉だから代用可能だという理屈を、頭は理解しても、何故か身体は受け入れようとしてくれない。
「やはり」と声に出して言ってみる。そのとき「や」と「り」の間の「は」という音節は、まさに呼気がたてる音そのものであるかのように吐き出され、するりと気道をすりぬける。
それに対して「やっぱり」は、呼吸の真空状態と爆発状態の両方を一瞬の内に秘めている。「やっぱり」の中の小さな「っ」のことを日本語では「促音」というが、実際には「促"音"」は"音"などではなく、単語の中に現れる一瞬の真空状態のことをいう。会話の中で「っ」が現れた瞬間、話していた私の呼吸は一旦停止して、会話があったその場を無音の真空状態が支配する。そしてこの「やっぱり」において特筆すべきことは、この真空状態が「パ」という爆発によって破られることである。私が思うに「パ」という音節は究極の破裂音だ。「バ」よりもクリアで、「マ」よりも鋭く、「ピ」「プ」「ペ」「ポ」よりも開かれている。「やっぱり」と発語する過程で、この「パ」が劇的に破裂するまでのその刹那、私たちは「っ� ��という、単語の中の一瞬の真空に、言葉にならないありったけの想いを詰め込もうとするのだ。だからこそ「やっっっっっっっぱり」といった具合に、「や」と「ぱ」の間の真空状態が支配する時間が長ければ長いほど、その真空の持つ圧力も強くなる。そして、その圧力は言語的な意味を超え、何かしら身体的な説得力として会話の中で機能するのだ。
だからやっぱり、「やっぱり」はやめられない。
というわけで今日の結果…
地雷ワード"やっぱり"
積算上演日数:396日
終演まで:385日
終演見込み日:2012年1月31日
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朝:マカダミアナッツ
昼:モスチーズバーガー、フライドポテト、コーンスープ
夜:チキンラーメン
毎朝、目覚まし時計がやかましく起床時間を告げるなり、私はそれを叩くように黙らせて、いつも決まって二度寝する。そして起きなきゃいけないという思いに苛まれながら、私は布団のぬくもりの中で睡眠状態と覚せい状態の狭間を彷徨うのだ。日常生活の中で自分の深層へと封じ込めている感情や欲望が漏れて出てくるのはこんなときである。
今朝、いつものように目覚まし時計を黙らせて二度寝しているとき、朦朧とする意識の中で、自分が寝ぼけて上唇と下唇を小さくパクパクと開閉させているのに気が付いた。寝息がそのパクパクを「p…、p…」という無声の子音として音声化しようとしている。そして何かが空振りし続けているような感覚からか、次第にみぞおち辺りから胸やけするような苛立たしさがこみ上げてきて、その苛立ちが声帯を震わせはじめると、無声の子音は母音を与えられ、音節らしきものが生まれてくるのだった。
「プァッ…、プァッ…、」
そしてその音が、今にも「パ」という鮮明な音節として完成しそうになったとき、誰かが急に乱暴な勢いで私の口に取り付けられた手綱を引っぱった。
ハッと目覚める私。
最近、よくこんな嫌な目覚め方をする。
目覚めが悪いことも影響してか、夜は「パ」ートナーと諍いを起こしてしまった。「喧嘩するほど仲がいい」と言うけれど、私たちの喧嘩はシャレにならないほど激しい。しかも一旦勃発したが最後、数時間は終わらないのだ。この日、私は喧嘩している最中も、なんとか必死に地雷を踏むのを避けていた。しかしそれでも途中から何がなんだかわからなくなってきて、自分の吐いている言葉を客観視する余裕すらなくなっていったのだった。
私たちの喧嘩は激しいが、とことん行くところまで行ったとき、いつもさっぱりと和解する。この日も数時間の激闘の末、仲直り。
私:「なんか喧嘩してるとき、ハに○のついた音、言っちゃったような気がするんだけど…」
「パ」ートナー:「うん、怒りがマックスに達したとき"やっぱり"って言ってたよ。ごめん、喧嘩してたからつっこめなかった」
地雷ワード、1.「やっぱり」
今日もパ裂を何とか一回に抑えられた。
というわけでこの時点で…
積算上演日数:394日+1日=395日
終演まで:385日(変わらず)
終演見込み日:2012年1月30日
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昼:たまごサンド、ミックスピザ
夜:天ぷらせいろそば
今日も『金閣寺』の稽古に神奈川芸術劇場へ。
二勝目をあげた次の日はやはり欲が出る。三勝目をあげようといつもより言葉を発することに慎重になり、コミュニケーションを恐れて無口になっている自分に気づく。
『「パ」日誌メント』をはじめてからというもの、私の意識は二つに引き裂かれている。話そうとする私の口には馬のように轡(くつわ)が取り付けられていて、もう一人の私がその轡に繋がれた手綱を握っているような感覚だ。話している私の上唇と下唇が接触し、直後に声がこみ上げて、今にも「パ」という音節が破裂しそうになったその瞬間、もう一人の私は力づくで手綱を引っ張って、ことばを発しようとする私を強引に黙らせようとする。
そのことによって確実に「パ」を口にしてしまう事態は避けられていくのだが、手綱を持った私は神経質になり過ぎて、その嫌疑を上唇と下唇が接触することで生まれるあらゆる音節…「ピ」「プ」「ペ」「ポ」や、「マ」「ミ」「ム」「メ」「モ」、「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」…にまで向けはじめる。上唇と下唇の接触の予感がするたびに、もう一人の私が執拗に手綱を引っ張るものだから、話そうとする私はかなりの頻度で口ごもらざるを得なくなるのだ。
そんな状態で生きているうちに、私は話すことに疲れ果て、どんどん口数が少なくなっていく。
いっそのこともう何も話したくない気分になるが、それは即ち一切の社会的活動を放棄することを意味するだろう。
この日は稽古場で衣装の方と話しているときに、今まで最も言いそうで言わなかった言葉が「パ」裂した。
地雷ワード1."パフォーマンス"
しかし今日はこれ一回のみ、これまでの成績を考えると健闘したと思う。
というわけでこの時点で…
積算上演日数:393日+1日=394日
終演まで:385日(変わらず)
終演見込み日:2012年1月29日
Categories: 契約違反日
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昼:たまごサンド、タコスロール
夜:タンタン麺、白米
まずいことに運転免許を失効してしまった。このところ忙しくてなかなか更新手続きに出向く余裕がなく、気づいたときにはうっかり期限切れというわけだ。
しかもさらにまずいことに、車は時間貸し「パ」ーキングに停めたままだった。その状態で日付は無情にも免許の有効期限日1月6日から、1月7日に変わってしまったのである。
冗談みたいな話だが、1月6日の23時59分59秒までは運転することができたのに、その1秒後、1月7日0時0分0秒になった瞬間から、私は運転ができなくなってしまったわけである。もしそれでも運転した場合は無免許運転として道路交通法第64条に抵触することになり、一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられることになる。運転ができない以上、車を「パ」ーキングから出して自分の家の駐車場に移すこともできない。もちろんその間も駐車料金は刻一刻と加算されていく。我ながら実に見事なドツボへのハマり様である。
しかし考えてみれば、私に運転を禁じているこの法に本質的な根拠はないはずだ。きちんと教習を受けて身につけた私の運転技能と知識が、このたった1秒の差でなくなってしまうわけがないからだ。車を「パ」ーキングから出して、5キロ離れた自宅の駐車場へ運転して移すことくらい、免許などなくても何てことはない。私の運転技能は本質的に免許の有効/無効に左右されない。免許を失効した状態で運転しても、それが事故のような実害を引き起こすことに、直接的にも、間接的にも、繋がることはないのだ。つまり、今の私が運転しても、道路交通法上は問題ありとされても、「本質的」な問題はどこにもないのである。そこにもし「本質的な問題がある」というならば、その糾弾は私個人の問題を超えて、そもそも車という� ��きな鉄のかたまりを、己の能力を遥かに超えた速度と力で操作することを人間に許しているこの文明へと向かうべきはずである。しかし日常でそんな問題意識を真剣に抱えている者があるとすれば、それは世間知らずの子供か、ポール・ヴィリリオくらいのものだろう。
そんなことを考えている間も、どんどん駐車料金は加算されていく…。立ち往生する私の目の前に、二つ罰が一対の金剛力士像のように立ちはだかっていた…。『車を出せず無駄にこのまま「パ」ーキングに放置して後日莫大な請求を被る罰』と、その罰から逃れるために無免で車を移動することで『一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられるという罰』、お前はどちらを選ぶのだ、と言わんばかりに。
私は思った。無免で車を「パ」ーキングから出してやろう。自宅の駐車場までたった5キロである。その間に私の無免許運転が発覚する可能性はほとんどない。さらに、先に書いたように、無免の私が運転しようとそこには何ら本質的な問題はないのだ。何を迷う必要などあろうか。
しかし車のキーを手にしようとしたその時、私の頭の中で『「パ」日誌メント』のことが、自分の立たされた状況と対応するように巡りはじめたのだ。
(脳内エコーON)私に「パ」と口にすることを禁じているこの法に本質的な根拠はない…。私が「パ」と発声したとしても、それが直接実害を引き起こすことに繋がることはありえない…。つまり、今の私が「パ」と発声したところで、契約上は問題ありとされても、「本質的」な問題などどこにもないのだ…。それに誰もいないところでうっかり「パ」と口にしてしまったとしても、日誌という形で自己申告しなければ、それが発覚する可能性はほとんどない…。
確かにそうかもしれない…。
い、いや、違う!。そうではないだろう。
私はこの「パ」フォーマンスを真剣に上演しているのだ。何のためなのか今はまだよく分からない。しかしそれでも真剣でなければ許されないのだ。これは信用の問題だ。100万円を支払ったコレクターに対してでも、このパフォーマンスの観客に対してでもなく、まず何より自分自身への自分の信用の問題だ。誓約書は、ちょうど運転免許証がそうであるように、実体をもって法的にその信用を保証するが、本質的には保証しないだろう。その信用を本質的に保証するのは、私のアーティストとしての真剣さの他にないのである。私はこの本質的に根拠のない、冗談のような約束事の先に、根拠のない希望を持っている。私が最後まで真剣であり続けた時に、きっとその希望は100万円という金額を遙かに越えた本質的な価値とし� ��目の前に現れるはずだ、と…。そして私がその希望を失うときがあるとするならば、それは自らの「パ」フォーマンスへの真剣さを失ったときなのだ。私の芸術が歴とした社会活動、経済活動であるならば、『「パ」日誌メント』の約束事は守っても、『道路交通法』の約束事は守らないという考えは本当ではないだろう。『道路交通法』だろうが、『「パ」日誌メント』だろうが、それらの約束事がどんなに本質的に無根拠な冗談に見えたとしても、法的な拘束力があるという点では変わらないのだから。24時間、365日、この冗談に真剣に向き合い続けよう、それが今の私の勤めである。
私はいつの間にか『「パ」日誌メント』によって至極全うな大人になっているようだ。車のキーの代わりに携帯電話を手にとって、弟にメールする。
「兄よりSOS…」
すぐに返事があり、救援に向かうとのこと。
仕事帰りに駆けつけてくれた弟、史門はサラリーマン然としたスーツ姿だった。史門に自宅まで代わりに運転してもらって車の移動を終えたその帰り…。
私:「運転してもらったお礼に1ハイ奢るよ」
史門:「え?"イチハイ"?」
私:「うん、1ハイ。ほら、今年から"ハ"に○がついた音言えないだろ?」
史門:「あぁ、兄貴、あれマジだったの…?(苦笑)」
私たちは駅前の飲み屋に入った。二人のためにビールを注文。
「コロナ2杯!」
心の中でつぶやく。「おっと、2"ハイ"ね…。セーフ、セーフ…。次は3"バイ"、4"ハイ"…ときて、危ないのは…10"パイ"だな…」
私たちの前にコロナの瓶が届けられる。ライムをぐっと中に押し込んで、ボトルを手にとり互いに向き合った。
私:「今日は運転してくれて助かったよ。じゃあ、乾杯!」
史門:「あ…、兄貴…。」
地雷、パ裂である。
地雷ワード①"乾杯"
この日はこの他にも、『金閣寺』の稽古場で共演者の方の陰謀にまんまとひっかかったのだった。台本に描かれたつくしのようなラクガキを見せられてパ裂…。
私:「ん?つくし?あぁ、なーんだ、アスパラガスですか…」
地雷ワード②"アスパラガス"
そして夜、「パ」ートナーと話ているときにまたパ裂…。
私:「パソコーン!」
地雷ワード③"パソコン"
この時点での積算総上演日数:390日+3日(賠償分)=393日。
「パ」フォーマンス終了まで:393日-7日(経過分)=386日。
この時点での見込み終演日:2012年1月28日
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昼:サンドイッチ(ハンバーグ)
夜:鶏の唐揚げ、焼豚、白米、キリン一番搾り
実は新しくオープンする神奈川芸術劇場、通称"KAAT"の杮落しとして今月29日より上演される以下の演劇に出演させていただく。
『金閣寺』
原作/三島由紀夫
演出/宮本亜門
出演/森田剛、高岡蒼甫、大東俊介、中越典子、高橋長英、岡本麗、花王おさむ、大駱駝艦〈田村一行、湯山大一郎、若羽幸平、橋本まつり、小田直哉、加藤貴宏〉、岡田あがさ、三輪ひとみ、山川冬樹、瑳川哲朗
私は一応"役者"としての出演ということになる。とはいえ物語の登場人物の役を与えられているわけではなく、主人公の内面が"人がた"に形象化された存在として出演する予定だ。人間の役ではないので当初台詞を言う予定はなかったのだが、稽古が進行していくうちに私にもほんのわずかだが台詞が与えられることになっていった。素晴らしい役者陣に混じって、役者でもない私が台詞を言わせていただくのは何とも恐縮である。しかし気がかりなのはそのことだけではなかった。
そう、例の「パ」のことである。もし、与えられた台詞の言葉の中に「パ」の音があったとしたら…。
しかしほんのわずかな台詞だし、まぁ、大丈夫だろう…。そう思い、年末に製本された完成台本をもらって私に割り当てられた台詞を確認してみると…あるではないか。見事に二カ所、「パ」の音が。私はまた頭を抱えた。「パ」という音節の、人を小馬鹿にしたような響きが、何とも憎たらしく感じられるのはこんな時である。
私は数日思い悩んだ。宮本亜門さんに直接台詞の変更をお願いしてみようとも思ったが、この時期の演出家というのは、ただでさえ作品のことで頭がいっ「パ」いで、「パ」ンク寸前の状態であるものだ。出演者の一人が「実は"パ"と言えないから台詞を変えてくれ」なんて訳の分からないことを言いだしたら、それこそ発狂してしまうのではないか…。まぁ、発狂は大袈裟だとしても、稽古場で100「パ」ーセント演出に全力投球している亜門さんの集中力を途切れさせたくないとの思いから、私は制作の方に事情を説明し、「パ」のつく単語を何とか別の単語に差し替えられないか相談していた。
これが昨年末までの経緯である。
そして、本日は年が「パ」けて私が参加する最初の稽古。
稽古のときは、毎回まず台本を開きながら、新しく出た台詞の変更点を、一字一句出演者全員で確認していくことからはじまるのだが、そこで私の問題の台詞のところへ行き着いた。ぎくりとする私。亜門さんが言った。
亜門さん:「山川さん、ここは"一般の"ではなく、今日のところは"普通の"で行きましょう。あの事言っていいですか?」
私:「あ…あっ、は、はい!」
亜門さん:「皆さん、驚かないでください。世の中には色んな方がいらしゃいます。山川さんはなんと自分が発する"パ"という音を売られたんです。だから今年は一切"パ"と言えなくなるそうです!」
出演者一同:「え~~~~~っ!!!!」
目を丸くする共演者の皆さん。人がこんなに驚く顔を見たのは久しぶりだと思った。「いくらで売ったんですか?」「誰が買ったんですか?」「言ってしまった場合どうなるんですか?」と矢継ぎ早に様々な質問が飛び交い、それに答える度にどよめく稽古場。
亜門さん:「そういう訳で、これからどんどん山川さんに"パ"と言わせてやりましょう!(笑)」
私:「すっ…すいません!ご迷惑おかけします。」恐縮する私。
問題の箇所は変更させていただけることになりそうだ。二カ所ある「パ」の内のもう一カ所は、「開けっぱなしにして」という言葉を「開けはなして」に変更すればよいので、そもそもあまり大きな問題にならなかった。私の一身上の都合が、私だけの問題に終わらず、否が応でも周りを巻き込んでいってしまう。周囲の方々には頭が下がる想いである。
しかし、この『「パ」日誌メント』というプロジェクトが「パ」フォーマンスであるならば、『金閣寺』の舞台に立ったとき、私は「パ」フォーマンスしながらパフォーマンスしていることになる。その時の私は『金閣寺』に出演するパフォーマーであると同時に、「パ」を発声しない『「パ」日誌メント』のパフォーマーでもあるからだ。そこでは、二つの「パ」フォーマンスが入れ子のような形で同時に演じられるという、不思議な状態が生じることになる。
稽古終了後は、音楽打合せと、「パ」ンフレット掲載用のインタビューがあった。そして、この日も地雷を踏みまくったのだった…。私が地雷を踏んで頭を抱えるのを見て「やったー!」とバンザイの格好で歓喜する亜門さん。明るい稽古場である。しかし、私は地雷がパ裂する度に憂鬱になるのだった。
さて、以下が本日踏んでしまった地雷ワード。
打合せ時:①やっぱり、②ひっぱる
インタビュー時:③パルコ、④パイプ、⑤パーソナリティー
この時点での積算総上演日数:385日+5日(賠償分)=390日。
「パ」フォーマンス終了まで:390日-6日(経過分)=384日。
この時点での見込み終演日:2012年1月25日
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昼:コンビニおにぎり(明太子)
夕:カレーライス
深夜:ラーメン、角煮丼
映画「WE DON`T CARE about music anyway」の公開を記念して、渋谷O-nestでライブイベントが開催された。私は、あの日本を代表するハードコアバンド「GAUZE」のドラマーであるHIKOさん、閃光と爆音ノイズを放つ蛍光灯「オプトロン」の考案者にして演奏者の伊東篤宏さんらとトリオでセッション。この組み合わせでやってくれと言われることは、「死んでくれ」と言われているのと同じようなものだ。二人の音はとにかく「容赦がない」。ライブ当日は演奏しに行くというより、処刑場に向かうような気分である。映画の中にもHIKOさんと私の地獄絵図のような演奏シーンがあるが、この日のライブも壮絶を極めた。発声器官というちっぽけな肉の管で、二人のあの音と対決しなければならないのである。過剰な絶叫のせいで、今も� ��んだか喉が血生臭い味がする。
私の中には時々自分でも恐ろしくなるような、得たいの知れぬ破壊衝動が潜んでいる。それはネガティブでもポジティブもない、ただのエネルギーで、ライブではそういう破壊衝動を声にして放出しているのだと思う。だから、私の発する声が、どんな断末魔のような絶叫でも、耳を一時的に難聴にしてしまうような攻撃的な鳴き声でも、それを観る人がネガティブなものとして受け取るか、ポジティブなものとして受け取るかは、私が決めることではないのだと思う。さらに、このエネルギーはいわゆる「感情」のエネルギーとも少し違う気がしている。だから、その破壊衝動が怒りのようなものとして特定の個人に向くこともない。しかしそれでも、ちょうど稲妻が落雷しようと放電の対象を求めるように、私の破壊衝動は具体的な� ��壊の対象を強く求めるのだ。そのとき犠牲になるのは、モノか、自分自身である。外に向いた場合はモノが壊れる。その際にモノとしての自分の体が一緒に壊れて血が出たりすることもある。内に向いた場合は、身体が耐えかねて、心臓が停まったり、失神してしまったりする。
この日の演奏は40分くらいだったか。クライマックスに達し、演奏が終わる予感が漂いはじめたころ、私は五十音から半濁音の列を順に叫ぼうと思った。ただし最初の一音だけは空の叫びとして。
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
HIKOさん、伊東さんが、音を出すのをやめて、私をステージに残して退場していく。私は続ける。
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
私の中で渦巻く破壊衝動が破壊の対象を探している…。
「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」
見つけた。そして、落雷。
「パッ!!!!」
大当たり。
地雷ワード、パ裂。1."パ"(音節)。
これは明らかに口が滑ったのとは違うだろう。しかし、意図的に言ったわけでもない。
「衝動的に言ってしまった」という表現が一番しっくり来る気がする。
演奏が終わると、嬉しいことにファッション・デザイナーの三原君と、その「パ」ートナーのひろみちゃんが観に来てくれていて、片付けをしている私のところへ会いにきてくれた。三原君とは多摩美の同期なのだが、2009年、彼のパリコレクションでのショーでは、MIHARAYASUHIROのスーツと靴を身につけて「パ」フォーマンスさせてもらったことがある。以来そのときの靴は愛用していて、ステージでは必ず履いていたのだが、「パ」フォーマンスでシンバルを蹴りまくるあまりボロボロになり、もはや見るも無惨な有様になっていた。
「ごめん、パリコレのときにもらった靴、こんなになっちゃんだ…」
地雷ワード、パ破。2."パリコレ"。
そして片付けを終え、肩の荷が降りたことにほっとしながら、O-nestのバーカウンターでドリンクを飲みながら伊東さんと歓談中…。
「もう一杯もらってきまーす」
地雷ワード、パ破。3."もう一杯"。
そして、その直後…。この日にもやはり地雷を踏みまくっていることに落胆して…。
「やっぱり、気が抜けたときに出ちゃうんですよね…」
地雷ワード、パ破。4."やっぱり"。
そしてO-nestを後にし、「パ」ートナーと一緒に車を停めていた「パ」ーキングへ。ふと見ると後ろのタイヤが「パ」ンクしているではないか。釘を踏んだようだ。ははーん、"「パ」ンク"か…その手には乗らないぞ。しかし走れるだろうか…。まだ完全には空気は抜けておらず、短距離なら走れそうだったので、なんとか近くのガソリンスタンドまで行って、みてもらうことにした。
そしてガソリンスタンド。口が裂けても「パンク」という単語は口にしまいと、心の帯を締め直して車を降り、係員相手に会話する。
私:「タイヤの空気が抜けているんですけど…直していただけますか?…」
店員:「パンクですか?」
私:「ええ、そうなんです。タイヤの空気が抜けているんです…」。
15分くらいで直せるので車を降りて待っていてくれという。あぁ、そんなに早く直してくれるんだと胸をなで下ろし、車内の「パ」ートナーに声をかけた…。
「パンク直してくれるって!降りてー」
地雷ワード、パ破。5."パンク"。
この時点での積算総上演日数:380日+5日(賠償分)=385日。
「パ」フォーマンス終了まで:385日−5日(経過分)=380日。
この時点での見込み終演日:2012年1月20日
いままで地雷を踏まなかったのは元日のたった一日だけ…。まずは二勝目を目指さなければ。
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朝:コンビニおにぎり(明太マヨネーズ、うなぎ)
昼:回転寿司(サーモン、中トロ、青さ汁、他)
夜:牛丼
まず昨日三日の出来事から。新年早々、福岡ユタカさんの自宅スタジオにお邪魔し、二人で月末から上演される舞台のための音楽を制作。Protoolsの画面を睨みつつ、二人で話し合いながら作曲していく。作業中、何の悪気もなく、私の前で「パ」のつく言葉を連発してくる福岡さん。
「ここでパッド系の音をいれてさぁ…」
「カオスパッドのエフェクトはやっぱりなかなかエグいんだよね…」
「ここは山川さんのパフォーマンスが入ってくるから…」
今の私にとっては悪魔の囁きである。それでも中々良い感じの音が出来上がってくると楽しくて、作業にも熱がはいってくる。しかしそんなときが一番危ないのだ。油断したところでやはり口が滑ってしまった。
「福岡さん、やっぱ、そこはスパン!とカットアウトじゃないですか?」
①"やっぱ"、②"スパン!(擬態語)"。計2発の地雷ワード、パ裂…。
したがってこの時点での積算上演総日数:371日+2日=373日。
福岡さんは私が地雷を踏んだことなど知る由もなく、淡々とProtoolsの画面に向かってエディット作業を続けていた。「あぁ~~~~~っ!!!!」と悲痛な叫びを上げる私。ただし、心の中で…。作業する福岡さんの後ろで私は空しく頭をかかえるしかなかった。
この日は帰省している「パ」ートナーに度々電話していたのだが、何故かぜんぜん出てくれなかった。仲直りしたものの、先日の諍いのこともあり、一体どうしたんだろうと一日中気がかりだったのだが、夜、帰宅して電話をしてみると、ようやく出てくれた。そこで開口一番、また口が滑ったのだった…。
「もう、心配したじゃないかぁ!」
地雷ワード、パ裂、③"心配"。
しかもその後で、洗濯物の話になり、また地雷がパ裂…。
地雷ワード、④"パンツ"。
したがってこの時点での積算上演総日数:373日+2日=375日。
次の日、一月四日は東京芸大の仕事始めだった。授業開始前にホワイトボードに大きく「パ」の字を書いて、今年からこの音を発音できなくなったことを説明する。この日の授業内容は学生たちの制作中の作品の進行チェックと個別指導。学生たちとの会話中、言葉を選びつつ地雷を踏まぬよう脳内で格闘するものの、その努力も空しく散ってゆく。
地雷ワード、⑤"パノラマ"、⑥"パッ"(擬態語)、⑦"失敗"。計3発のパ裂。
この時点での積算上演総日数:375日+3日=378日。
会話中、地雷を踏んでしまい頭をかかえる私を見て、「す、すいません…」と申し訳なさそうに言ってくれる子もいたのだが、もちろん学生には何の罪もない。
芸大の仕事を終えた後は、都内でSNOW Contemporaryの石水さんと打合せ。石水さんは他ならぬ『「パ」日誌メント』を販売した張本人である。しかし、ここでも地雷ワード、パ破。
地雷ワード、⑧"レセプションパーティー"
この時点での積算上演総日数:378日+1日=379日。
「聞いちゃった…。なんかショック…」と石水さん。
この日はこれでは終わらなかった。田舎から帰ってきた「パ」ートナーが、お土産に地元の神社で交通安全のお守りを買ってきてくれて、それを受け取った瞬間…
「おぉ、ありがとう。立派なお守りだなぁ…」
地雷ワード、⑨"立派"
この時点での積算上演総日数:379日+1日=380日。
「パ」フォーマンス終了まで 、380日−4日(経過分)=376日。
ヤバイ…。本当にヤバイ…。一年間のプロジェクトのつもりではじめたはずなのに、このままでは永遠に終わらない。例えば一日に「パ」と三回口にしてしまい、その賠償として三日契約が延長されて、その延長された日それぞれに、また三回「パ」と口にしてしまったとしたら…。そう考えるとねずみ算式に積算上演総日数が増えていき、天文学的な数になるだろう。「パ」を100万円で売ったものの、これでは逆に法外な利息の借金に追われ続けているようではないか…。
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昼:天ぷらそば、雑煮
夜:カレイの煮付け、白米、鳥五目ご飯、大豆、カボチャ、人参、インゲン豆、チャーシュー、煮卵、海藻サラダ(青じそドレッシング)、キリン一番搾り
昨日、一月二日午後のことになるが、東京都現代美術館の講堂で「落語で楽しむ現代美術」という名のイベントが催されるというので足を運んだ。現代美術と落語というと不思議な取り合わせのようにも思えるが、そもそも現代美術館のある深川地域は江戸の粋が色濃くのこる下町である。現代美術館周辺では、この地域が元来培ってきた江戸っ子気質に象徴される下町の風と、現代美術館開館以降、新たに吹き込んだアーティーな風とが遭遇して渦となり、独特な気流が生じている。"火事と喧嘩は江戸の華"…。その気流の渦は時に乱気流に発展することもあるようで、かく言う私も以前、この企画の真打、三遊亭歌司師匠に付近の飲み屋で絡まれ、ちょっとした諍いとなったことがある。結局最終的には意気投合し、師匠の寄席に� ��く約束をしたまま日が過ぎていたところへ、新年早々良い機会に恵まれたというわけだ。
高座に上がるなり、さらりと皮肉を言い放つ歌司師匠。立派な美術館施設をとりあげて「えー、はじめてここへお邪魔いたしましたが、東京都も随分税金の無駄遣いをしたもんですなァ」。どっと会場に笑いが起こる。その"税金の無駄遣い"という言葉の中には、美術館が私の作品「The Voice-over」をコレクションとして買い上げたことも含まれることになるのだろう。いやはや、またもや師匠に喧嘩を売られてしまった。私はそんな師匠の話芸に心底魅せられ、その活き活きとした声と言葉に──落語をこのような横文字で語る無粋を承知で言うならば、その"「パ」ロール"に──感動していた。
落語を堪能し終えて館内のカフェで一服していると、キュレーターの藪前さんから電話があり、新年の挨拶を言いに会いに来てくれた。いや、むしろ年が明けて「パ」と言えぬ私を確認したいという好奇心がそもそもの動機だったのかもしれない。年が明けてから、家族や「パ」ートナー以外で人と会話らしい会話をするのは、藪前さんが初めてである。
「あの…、例の作品のことがあるので…、言葉を選びながら、ゆっくりでしか話せないんです…。辿々しくてすいません…。」と最初に断る。まるで地雷を踏まぬようにしながら恐る恐る話す私の声が微妙な空気をつくったが、次第に会話は弾んでいった。
藪前さんによれば、年が明けてすぐに放送された『朝まで生テレビ』が面白かったそうだ。番組の中で、マスメディアに蔓延する自主規制の空気こそが日本を萎縮させているのではないかといったような内容の発言があり、それが昨年10月「あいちトリエンナーレ」で発表した舞台作品『Pneumonia』で私が問題にした、日本社会に蔓延する"肉体的、精神的、閉息感"と関連しているように思ったとのことだった。
『Pneumonia』で私は「気息」をテーマとし、現代の日本で私たちが果たしてまだ「歌」というものを必要としているのかどうかを問いかけたのだった。作品中で歌ったのは、"放送禁止歌"と呼ばれる、かつて絶対に放送にかけてはならないとされた歌々である。これは森達也監督のドキュメンタリーに詳しいのだが、"放送禁止歌"の背景を突き詰めてみると誰もその歌を禁止していなかったという事実が明らかになる。かつて民法連による『要注意歌謡曲指定制度』という制度が存在したものの、それはあくまで注意を促すガイドラインにすぎず、全く法的な拘束力を持っていなかった。つまり、"放送禁止歌"の実体は自主規制だったのである。放送にかけない方が無難だろうという空気が大きな渦になり、いつの間にか絶対的な禁� ��であるかのように一人歩きしていたのだ。つまり私たちは、強大な権力に首を絞められて歌えなくさせられていたのではなく、自ら進んで閉息し、歌うことをやめていたのだ。自主規制によって萎縮し声を失っていく…。私にはこの"放送禁止歌"こそが、日本社会の息苦しさを最も象徴的に表しているように思えてならない。「歌」というものが、肉体的息吹(Pneuma)と、精神的息吹(Pneuma)の融合によって生み出されるものであるとすれば、日本社会に蔓延する自主規制の空気とは、肉体と精神両方に呼吸不全を引き起こす肺炎(Pneumonia)のウィルスのようなものである。
そんなことを考えていると、先ほどの歌司師匠の活き活きとした「パ」ロールが耳に蘇ってきた。もし先に書いた自主規制的な空気が、日本人の古くからの「ムラ社会的」なメンタリティに由来するならば、芸能者たちの「パ」ロールは、そこでどういう役割を果たして来たのだろう?私は言った…。
「うーん、あの時も飲み屋で歌司師匠に酔っ払って喧嘩売られましたけど、やっぱり昔から芸能っていうのはパンクだったんじゃないですかねぇ…」。
ふと見ると藪前さんの顔がひきつっている。
あぁ、またやってしまった…。
①酔っ払って、②やっぱり、③パンク、以上3発の地雷ワード、パ裂…。
したがってこの時点での積算上演総日数:368日+3日(賠償分)=371日。
会話はここで頓挫した。
自主規制によって萎縮し、声を失う…。それはまるっきり今の私のことではないか。
一体、私は何のためにこんなことをしているのだろう?
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未明深夜:ペヤングソースやきそば、キリン一番搾り。
昼:フォー、サラダ。
夜:すき焼き、白米、雑煮、マンゴープリン。
開演から二日目。ある程度覚悟はしていたものの、「パ」を口にできぬのはなかなかつらい。いや、正確に言うならば、口にできぬことそのものよりも、口にしてしまうかもしれぬ恐怖を抱き続けながら生活するのがつらいのだろう。うっかり口が滑ってしまうことを恐れて、いかなる言葉をも発することが躊躇され、気づけばおのずと無口になっている。端からみるとそれが不機嫌に見えるようである。いや、もしかしたらその無口さが不機嫌に見えるだけでなく、この不自由な状態を生き続けなければならぬことに、私は確かに苛立っていて、それが無意識に顔の表情や振る舞いに現れているのかもしれない。無口になっている私の中で、「パ」という聴覚イメージが、まるで風船のようにパンパンに膨んでいる。そのパンパンの風� ��が、いつ何時破裂してしまうのではないかと、私は自分自身に疑心暗鬼になっている。
そのせいもあるだろう。本日未明、大晦日から遠方の実家に帰省している「パ」ートナーと数時間にわたって電話で喧嘩をしてしまった。諍いの原因は他ならぬこの作品、"「パ」日誌メント"だった。
年明け前、私はウェブ版「パ」日誌のURLをメールで「パ」ートナーに伝えることを約束していた。にもかかわらず、元旦の午前零時きっかりにブログを開設するため、設置作業に追われていた私は、その約束をうっかり忘れてしまっていたのだ。URLを伝えることができたのは年が明けた20分後、「パ」ートナーからの新年の挨拶メールの返信という形でだった。そのことが「パ」ートナーを不機嫌にさせていた。
恋人同士の間にはありがちな、ごく些細な喧嘩の種かもしれない。しかし、この「パ」フォーマンスのとばっちりを食うのは、誰よりもまず彼女なのだ。私に起こる変化は、彼女の生活にも影響を及ぼさずにおかないだろう。この「パ」フォーマンスがはじまるその瞬間は、彼女にとっても心して向き合うべき重要な瞬間であり、だからこそ年越しの瞬間に対面せねばならぬ具体的な対象は、茶の間のテレビ画面でも、神社の拝殿でもなく、零時きっかりに更新される
年が明けてから丸一日経って、日付が変わった一月二日未明、「パ」ートナーと電話で話した。「パ」と言えぬ苛立ちからか、私は自分の非を素直に認めるよりも、ブログの設置作業に追われて連絡する余裕がなかったことを言い訳がましく訴えた。そのことが「パ」ートナーをますます不機嫌にさせた。彼女が不機嫌になればなるほど、私も不機嫌になる。私の不機嫌さが、また一層彼女を不機嫌にさせる。そんな風に不機嫌の悪循環が続いていくうちに私は感情的になり、私の中の風船がついに「パ」という実音をたてて破裂してしまったのだ。
「だからぁ、「パ」日誌メントのブログ立ち上げるのに、こっちも精一杯だったんだよ! あぁっ…、パって言っちゃった…」
耳のうしろでサーッと血の気が引くのが聴こえた。沈黙…。
私は2011年に口にする全ての「パ」を1,000,000円で一人のコレクターに売ったのだ。だから、私が「パ」を口にすることは、事実上そのコレクターの所有物を盗んだことになるのだ。誓約書で誓約した通り、この盗みの賠償として、「パ」一回の発声につき一日ずつ契約期間が延びて行く。1."「パ」日誌メントのブログ"、2."精一杯"、3."「パ」って言っちゃった"、計三回。つまり、この瞬間に契約期間が365日+3日(賠償分)=368日に延長されてしまったわけだ。
血の気が引いて冷静になったのだろうか、いつの間にか私のエゴはとけて、素直に自分の非を認められるようになっていた。私が素直になれば、彼女も素直になる。彼女は私のミスを責めていたわけではなかった。ただ、誰よりもこの「パ」フォーマンスに真摯に向き合おうとしているその気持ちを、尊重して欲しいと求めていただけだった。彼女もまた、私に与えられたこの不条理な"罰"を、"「パ」ートナー"として共に引き受けようとしてくれていたのである。
私たちは改めて新年の挨拶を交わし電話を切った。私はペヤングソースやきそばを肴に、ビールを飲んで眠りについた。
これは一月二日未明の出来事である。この時点で、既に三回も「パ」を口にしてしまった自分の体たらくには溜め息をつくしかない。しかし、事もあろうかこの後、一月二日の午後にも、私は風船を破裂させてしまったのだ…。果たしてこの「パ」フォーマンスが終演を迎える日が来るのだろうかと、開演早々、真剣に悩み始めているところである。このことについては明日一月三日の日誌に記したい。
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