三上研究室
1編集とは何か
情報文化論は、文化を情報の観点から眺めると同時に、 情報を文化の観点から眺めもする、非常にダイナミックな研究です。 情報と文化をつなぐ蝶番(ちょうつがい)にあたるのは編集です。 多種多様な人間の活動を編集の観点から統一的に理解すると同時に 非常に生産的な知的展望へとつなげる仕事はすでに十年以上前から行われてきました。 そのなかでも特筆すべき仕事を精力的に行ってきたのは 編集工学研究所の開設者である松岡正剛氏です。 その成果は、書物、ソフトウェア、国際的なプロジェクト、独自の学校の設立等、 枚挙にいとまがありません。 いずれも大変斬新なアイデアと豊かな発展性に満ちた編集の成果ですから、 編集工学研究所の公式サイト(ISIS)で通覧してみることを勧めます。
この講義で鍵になる概念、活動、プロセスも編集と呼ばれます。 しかし、ここでいう編集をつかまえること自体が最初はなかなか難しい。 先ずは次の引用からだいたいの感じをつかんでください。
ふつう「編集」といえば、書物や新聞、雑誌、テレビなどの編集のことをいいますが、私が考えている編集はそれだけではない。文芸活動も編集ですし、子供の遊びも編集なのです。情報を組み立て、それを構成したり再編成したり、また、そこにゲームやルールを作っていくこと、それらはすべて編集です。ですから、歴史も編集だし、政治も編集、経済も編集なのです。歴史が編集だと言うのは、歴史の出来事には、どこかに必ず情報を構成しなおそうとする仕組みがあるということを意味します。(松岡正剛『情報の歴史を読む』p.19)
どうですか。 一見、なんでもかんでも編集だ、という乱暴な見方に見えるかもしれませんが、 逆に見ると、ふつうはバラバラで、関連のないように思われている物事に 一貫した見方を提供してくれるのが、編集という観点なのです。 このような編集の見方、編集観は たしかに既存の知識を整理するには役に立つかもしれないが、 それ以上の役には立たないのではないか、と思われるかもしれません。 (本当は、ちゃんと整理することは、非常に役に立ちます。)
ところが、どっこい、実はそこには、 書物や雑誌やテレビ番組を編集するように、あるいは歴史を編集するように、 あるいは歴史上の劇的な出来事が編集されたように、 私たちは自分の人生を編集することができるのだ、 という深い見方が潜んでいるのです。
人生は編集できる。
魅力的に生きている人は編集上手である。
幸福の秘密は編集にある。
不幸は編集の欠如である。
等々とパラフレーズできるようなメッセージが この新しい編集観から聞き取ることができるのです。
2情報のルーツと視野の拡張
「情報文化論」と聞いて、何を連想しましたか? 情報と文化がくっついているわけですが、 情報の方は、いわゆるIT、情報技術、 コンピュータやインターネット関連の電子的、デジタルなイメージ を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 そんな情報が文化とくっついた場合には、どうでしょう? IT社会、IT時代特有の文化的現象を論ずるのが、情報文化論かな、 と思われるかも知れません。
確かに、一面ではそうなのですが、 この講義の目的は、むしろ、IT社会、IT時代に「特有」と思われがちな文化的現象が、 決してそうではなく、 例えば、日本の江戸時代にも、もっと遡って古代、天平時代にも、 今日で言えば「情報通信ネットワーク」とか「プログラム」とか「プロトコル」、 あるいは「GUI」に相当するものが 立派に存在したこと、 そして世界視野で見れば、同じことはそれこそ数千年前にも存在したことを知り、 人類史全体を見渡すスケールで、文化や歴史が形作られてきた基本的な動向 (それをこの講義では「情報の編集」ととらえます) を知ることなのです。
そもそも、情報とはIT環境の専売特許ではけっしてありません。
一方では、 生命の一形態であるヒトとしての私たちは様々な種類の情報の塊、束です。 顔から身体的特徴、指紋、そしてDNAまで、すべてはれっきとした情報に他なりません。 特に、遺伝情報と言われるDNAについて言えば、 それは基本的に全生物に共通のコードと文法で書かれたプログラムであり、 種の違いはプログラムの違いに過ぎません。 そしてDNAの構造から推測される生命の起源=情報の起源は、 地球、太陽系、銀河系、つまりは宇宙そのものの誕生にまで遡ります。 私たちの身体は宇宙、生命、人類と継承されてきた膨大な情報を運んでいると言えます。 ですから、情報技術の現場で生命の比喩(ウィルス等)が多用されるのは偶然ではありません。 未知の情報の種子が生命の起源となり、 生物進化のひとつの果てに人類による情報技術が誕生したのですから。
また他方では、 私たちは身の回りの物事すべてからいつも何らかのメッセージを受け取っています。 それは人工物のみならず、自然環境からさえもそうなのです。 すなわち、 私たちは身体の内側に宇宙誕生以来の膨大な情報を抱え込んでいると同時に、 身体の外側のあらゆる物事を情報源として それらと交信(コミュニケーション)しているのです。
とりあえず、人類史はヒトが地球を中心として宇宙空間に作り上げたり、 利用してきた形あるもの、形のないものすべての歴史だととらえることができます。 その中で、ヒトがコミュニケーションを効率的、円滑に行うために利用したり、 作ったりしたものはすべて媒体(メディア)です。 そしてそのようなコミュニケーションのためのメディアの複合体が文化の情報的側面なのです。
ところで、情報は戦争と深い関係にあります。 情報技術は戦争の中で重要な軍事技術として生まれ育ってきた来歴を持ちます。 戦争や破壊という行為の中ではどのような情報の編集が行われているのか。 逆に平和や生育の中ではどのような情報の編集が行われているのか。 このような人類にとって根源的な問題に答えるためには、 情報を現代という時代を超えて、またIT環境を超えて、 できるだけ長いスパン、大きなスケールで捉え、考えることが非常に大切です。
さて、人類史の先端を生きる私たちが知っている最古の「文化」は 約500万年前ですが、その500万年間の最後のわずか100年間に、 地球環境は危機的な状態に陥ってしまいました。 また消え去った文化、文明、言語の数々、絶滅した生物種の数は計り知れません。 戦争と殺戮は止まず、今この瞬間にもイラクをはじめ、世界のあちらこちらで、 不条理な殺人が行われていることを私たちは知っていて、 しかしそれを止める術は知らずにいます。 眼を国内に転じても、 多くの不条理な判断と実行が政官財癒着の構造のなかで平然とまかり通っています。 そこには否定性に貫かれた非常に硬直した欲望、 価値観、人生観、世界観が強力に作動していて、 私たちもともすればその運動に巻き込まれてしまいます。
そのように大掛かりな運動から自由になるには、 私たちはこの身をふくめて、身の回りから地球規模へ、 現在から500万年前、さらには人類、生命、宇宙の起源にまで視野を拡張して、 肯定性に支えられた大きなヴィジョンを獲得する必要があります。 この講義はそのための準備運動だと言えるかもしれません。
3世界を相手にインテリジェント・マップを作る
どのように噴水を構築する
私たちは「世界」を単に空間的にとらえてしまいがちですが、語源的にも実際にも世界は「世=時間」であると同時に「界=空間」でもあります。先ずはその二重性、二面性をしっかり押さえた上で、時間軸に沿った情報の継承と空間的な情報の配置をインテリジェント・マップ(知的=情報的な地図)として明確なイメージを作り持ち、それを自分の人生のグランド・デザイン(基本設計図)にしましょう。分かりやすいイメージを描くために、自分の身体を時間軸と空間軸の基点にします。そして一方では時間軸を過去に遡りながら、世代を遡り、人類史を遡り、生物進化の歴史を遡り、地球の歴史そして宇宙の創成史をビッグ・バンまで遡ります。その過程でそれぞれのステージにおける情報の動向の特徴をつかみま� �。特に人類史上重要なトピックをたんに過去の出来事として暗記するのではなく、それらを現代に通じる重要な情報編集事例として見直します。
他方では、空間的な情報配置の見取り図として、先ず身体の内側にある脳の記憶のしくみと働きを改めて理解します。そして次に身体の外側に構築されてきた、書物、絵画、彫刻、建築、都市等々を情報的に同じ機能を持つ外部記憶装置として把握し直します。あわせて道路、航海路、鉄道、電信・電話、インターネット等を情報通信ネットワークとして一貫して理解し直します。
こうして身体を基点とした歴史的(時間的)かつ空間的な、すわなち世界的な情報略地図を描きます。もちろん、それはまだ未熟なラフスケッチにすぎませんが、それさえ出来上がれば、後は少しずつ空� ��を埋め、未知の環を発見していけばいいのです。
4世界を設計する眼
例えば、テレビ番組を「こちら側」から受け身に消費するだけでなく、「あちら側」(制作者サイド)から見る眼を養うことが大切であるのと同じように、今このようにある世界をそのままただ受け入れるのではなく、世界をこのように作った側の視点を自分の中に持てるかどうかは決定的に重要なことです。世界を作った側と言っても、特定の個人や組織のような実在ではなく、私たち人間や様々な社会的組織をも作った側、仮想の世界制作者の側のことです。そのような言わば「神の視点」にたって、世界を見直すことが情報文化論の真骨頂でもあるのです。むろん、それは別に世界支配を目論むためではなくて、あまりに「人間中心主義」、「国家主義」な視点からしか世界を見ることのできなくなった私たちが直面している袋小路� ��突破するためには、そこまで視点をシフトし、視野を拡大しなければ、どんな有効な手だても見えてこないからです。 それは言い換えれば、人間や国家の代わりに、「情報」そのものを主人公にして、その動向が様々な形態をとって来た結果として今のような世界があるという見方を徹底することです。これは究極の思考実験でもあり、自分が情報そのものになって、どのような計画に基づいてどうすれば、どんな結果を生むか、という視点でビッグ・バン以来の宇宙史、生命史、人類史の全プロセスを検証することです。そして、その上にたって、望ましいプロセスを推理し、実現することができるようになること。それが情報文化論の最終的な目的です。
さて、宇宙史、生命史と辿ってきた私たちはいよいよ私たち自身の歴史、人類史に突入します。宇宙史におけるポイントは私たちは不可知、未知の情報を継承しているということ、生命史のポイントは奇蹟的な混沌からの秩序の形成とハイリスク・ハイリターンな進化プロセスの末に生物としての私たちは位置しているということでした。そして人類史における最初のポイントはヒトの進化の最初期の直立二足歩行の段階で、すでにヒトは根本的な制約や矛盾を背負ったが、それゆえにこそ、様々な情報編集のスタートを切ったということです。
5原始観念技術
キリンカップ・サッカー最終戦、日本対スコットランド。0対0で迎えた後半、降り続く雨の中膠着状態が続き、4分のロスタイムも残り1分を切ったとき、後半10分過ぎに投入されたFW佐藤はPKのチャンスをもぎ取った。ゴールまで20メートル。蹴るのはサントス。これがラストチャンスであることは誰もが分かっていた。テレビには観客席の応援の女性たちが一心に祈っている姿が大写しになる。もちろんいくら祈ったところで、それがサントスの蹴る球をゴールに吸い込ませる直接の力になるわけではない。けれども「思いよ、届け」とばかりに、女性応援団は一応に祈らざるを得ない心境になる。このとき彼女たちの心の中にくっきりと浮かんでいるものは「入ってほしい」「勝ってほしい」という強い願望であり、それはゲー ムの成行きを直接には変えないが、その動向に迫る観念である。そしてそのような観念は外側の現象に間接的に力をおよぼしていく。 このような観念の表出が実は人類の情報文化を形成する原動力となった。念じる力は原始古代に様々な表現形態となって花開き、現代にいたるまでしっかりと受け継がれているのである。原始古代では人知を超えた自然や宇宙の成り行きに「思い」を届かせたり、思いを仲間で共有したりするためのメディア(媒体)やツール(道具)が色々と作られた。雨乞いの儀式、地上絵、出産を願う土偶、狩猟の成功を願うアニマル・マスターの洞窟画等々。そこで働く力を「観念技術」という。その最たるものが言葉であり、文字である。現代においてもお札や護符、旗、家紋、エンブレム等が立派に存在し、人々はそれらを媒介にして見えないパワーにあやかろう、縋(すが)ろうとする。あるいは縄文時代において土器の文様の秘めたパワ� ��(霊力、呪力)が集団同士の競争や紛争の原因になった(「文様戦争」)のと同じで、今日において反社会的集団が敢えて漢字を読み難く並べたネーミングをしたがるのは、漢字のもつ言霊、呪力の故である。これがカタカナだとそうはいかない。組名はやはり「キンキキッズ」ではなく「近畿傷」とかでなければならない。
宇宙の歴史の後半に<情報>は地球上で生命として画期的なスタートを切り、次に生物を多様に進化させ、そして人類において言語、文字を生み出した。文字の発生にいたる人類史の最初期では言語の獲得プロセスと並行するかたちで、線刻、文様、輪郭、土器そして文字というように、観念の素朴な表出が徐々に明確な表現形態へと洗練されていった。そして文字のもつ情報の記録力がその後の人類の情報文化の基底をささえていくことになる。
6神と宗教の発明
家の中で一番「情報文化的」な空間はどこだと思いますか? 書斎? 違います。それは実は台所です。台所は家の中で人や物の動きや変化が最も多い空間です。台所では様々な種類の情報が激しく行き交い、毎日大量に処理されます。「男子(も)、厨房に入るべし」。台所を女子の占有空間にさせておくことほど、もったいないことはない。なぜなら、台所は料理を介して世界(社会、地球環境)とつながった空間であり、人は台所を窓にして世界を覗き深く学ぶことさえできるからです。しかも料理は膨大な情報を頭と手をフル回転させて処理する作業です。時には並列処理も必要になる。料理は脳を活性化する。料理をすれば頭も心も体もよくなる。 知っておいたほうがいいことは、料理という作業の中では驚くほど「知的=情報的」(intelligent)なプロセスが進行するということです。
1)その日の体調などに合わせてどんな食べ物を作るか考える(企画、立案)
2)できるだけ良質かつ安い材料を探し求め買いに行く(情報収集、市場調査、経済行為)
3)作る手順を思い描く(レシピ=作業工程=アルゴリズムの作成、プログラミング)
4)必要な材料を洗ったり、切り揃えたりの下準備、下ごしらえをする(情報整理)
5)鍋やフライパン等の道具を用いて材料を煮たり焼いたり蒸したりして食べ物を作る(情報編集、実行)
6)出来上がった食べ物に相応しい器を選んでそれに盛りつける(情報デザイン)
7)食べる
"どのように使用水筒を洗浄するために"
このような料理の経験を自覚的に積むことは他の多くの社会的活動で必要な能力を鍛えることにもつながります。そして、たとえ料理する暇がない場合でも、買ってきたお惣菜やコンビニ弁当、インスタント食品をそのまま食べるのではなく、台所に持ち込んでほんの少し手を加えるだけで、私たちは「料理」に潜む情報文化の本質である「編集」に触れることができるのです。さらに、台所は原始古代から継承されてきた土器と水と火からなる神聖な記憶が保存された空間です。したがって、台所に入り料理をすることは、そのような記憶を現代風に再現、反復していることにもなります。
そもそも料理は原始古代においては聖なる土器を使って水と火の聖なる力によってそのままでは食べるのに適さない物を食べられる物へと変化させる魔法にもひとしい観念技術でした。水や火が持つ聖なる力は水の神、火の神の象徴となり、それらは部族を律するルール(宗教)の要(かなめ)になったこともあります。現代でも優れた料理人が非常に尊敬されるのは、材料と道具と水と火を巧みに操る料理人の仕事に、私たちの中の原始古代から受け継がれている記憶の古層が鋭敏に反応するからです。
さて、もちろん、情報文化の歴史(話)は台所の中にとどまりません。私たちの祖先は「家」を出て、「国」を造ったり、盗り合ったりしてきました。実際に歴史の教科書では、最終的に地球規模にまで拡大するそのような戦争のトピックが目立ちます。私たちは戦争のなかに「ここ」を拡大して、「むこう」を「ここ」に取り込んで行く運動を見て取ることができます。そのような戦争を支えていたのは、現在でも支えているのは「むこう」に対して「ここ」を強力にまとめあげる一種のシステムです。原始古代にはすでにそのようなシステムとして「政=マツリゴト=祭」が形成され、「神」を主人公とする物語も発明されました。神は集団(部族、民族)のアイデンティティの証としても機能する最高の文様(デザイン)でもあ り、集団どうしの争いは神々の争いの様相さえ呈しました。
神とは人間どうしを結びつける、人間を超えた力の象徴、真空のノリシロのようなものです。そのような力をできるだけ説得的に表現するために言語が駆使され、叙事詩や聖書のような物語が書かれました。そして最初の国家ではそのインフラ、いわばハードウェアである都市が、神を祀るための神殿を中心に設計、建設されました。神を祀ることは「マツリゴト」の重要な出力だったのです。マツリゴトはいわばソフトウェア、プログラムに相当します。こうして、国家は初めから宗教国家だったのです。国家と宗教の起源は同一であり、集団の紐帯(ちゅうたい)としての神を頂点とするマツリゴト=宗教情報システムの成立が国家の成立でもあったのです。したがって、あくまで人間が「神」をデザインしたと考えるべきです。 しかもそれは究極のデザインでした。
今回の内容をハードにまとめると以下のようになります。
いわゆる民族の移動と侵略の歴史、すなわち民族の母集団化と母集団からの子集団の分離の繰り返しを通じての、都市国家群から帝国の成立の過程は、原始観念技術のなかに芽生えていた信仰がやがて宗教になり、神殿を伴った宗教都市国家が成立する過程でもあります。侵略や征服の中で起こっていた重要なことは、「契約」による相手集団の民族的記憶の変換や創成、一種のマインド・コントロールでした。また素朴な信仰が宗教になるには、信仰の対象が世界の原理としての神とみなされ、さらに世界の創造者としての神と読み替えられていくことが必要でした。そしてその未曾有の力を授かった王が現実の国家を支配したわけです。物語的に見れば、古代文明は巨大な神話空間、すなわち神々の闘争の舞台であり、情報文化的 にみれば、それは初期宗教的情報システムの形成です。そこでは世界の情報を神々をノード(結節点)としたネットワークとして再構成しています。
7図書館には天使が住まう
人気(ひとけ)の少ない図書館の霊気にあなたは長時間堪えられるだろうか。霊気。そう、図書館には、収蔵された膨大な書物から放射される遠い過去から現在にいたるまでの、そして日々追加される情報が目に見えない幾筋もの流れをつくり、幾多の渦を巻きながら充満し横溢しているのだ。しかし、どこにあなたの心を射貫き、身震いさせるような情報の矢、情報の牙が隠れているかは俄(にわか)には分からない。そのような「情報のジャングル」で途方に暮れないためには、知性を研ぎすました「情報のハンター」になる訓練を積む必要がある。少なくとも己の現在位置を知り、全方位に広がるできるだけ大きな地図が必要だ。 かつてヴィム・ヴェンダースが映画『ベルリン、天使の詩』で描いたように、図書館とは「天使」が休息する場所でもある。天使とは、人間が人間を超えたものと「交信する」ための媒体(メディア)の象徴である。もっと平たく言えば、私たちが現在置かれている環境を超えて多数の「あちら側」と「交信する」ための媒体である。つまりは、書物のことだ。書物には普段は目に見えない羽が生えている、そうヴェンダースは言いたかったに違いない。羽の生えた書物に乗って、あなたの魂は未知の「むこう」を旅することができる。書物はあなたを心の旅に連れ出すコンパクトでモビールなビークル(compact and mobile vehicle !)だ。さらに言えば、書物とは文字を介して「あちら側」と深い会話を交わすための古代からの「携帯電話」だ。
今日私たちが庭を宇宙、自然に見立てるようにして、紀元前4世紀に都市(アレキサンドリア)を全世界に見立てた設計と建設の中心にあったのは、図書館(ムセイオン)だった。図書館とはそこにいながらにして世界をヴァーチャルに体験できる「世界模型」であった。そこには世界中の情報が収集され、独自の分類法に基づいて配置、収蔵された。そこで発揮された情報アーキテクチャーと情報デザインの技が現代にまで継承されているのである。私たちは図書館に入ったとたん、アリストテレスに世界知を学び、それを地球上に世界模型として構想し実際建設しようとしたアレクサンダー大王による人類最初の「グローバリズム」の輪郭に触れることにもなる。
紀元前6世紀から3世紀にかけて、それまで各地に分散して蓄積された宗教的古代情報は一カ所に収集されギリシア神話や自然哲学として「人間的観点」から再構成される。次に、その後の知識(学問)の土台となるような記憶術、思考と記述の方法が開発され、その上に本格的な情報の蓄積が始まる。私たちはアリストテレス等の仕事に人類史における最初の「知識」(学問)の創出を見ることになる。
8地上のテリトリーと心のテリトリー
百科事典は好きですか?ライブドア元社長の堀江君は拘置所内で百科事典を読んでいた時期があったそうですが、そのときの彼の眼差しはなにをとらえていたと思いますか?世界をカバーする項目の記述の向こう側に再び標的にすべき「世界」を捉えようとしていたのか、それともただ各項目の記述に世界の多様性や深みを見い出していたのか、はちょと興味のあるところです。ちなみに、百科事典はEncyclop(a)ediaの訳語で、語源はギリシア語にまで遡りますが、大きな体系のもとにencyclo、教えるp(a)ediaという意味です。すなわち、百科事典が成立する背景には世界を一つの大きな体系としてとらえる思想的前提があります。 さて古代末期には、実は図書館は百科事典にまで情報圧縮されます。これは、万巻の情報を数(十)巻の情報にまで圧縮する編集技術が開発されたことを意味します*。また、論理的に議論を展開するための方法(弁証術)や歴史を記述するための新しい方法(伝聞的歴史記述法、「紀伝体」)が開発されます。一方、帝国の拡大路線が帝国自身を疲弊させていく過程で従来の神話的紐帯は弛緩し、さらに民族大移動の連鎖によって帝国が分裂、崩壊に至る過程では、より強力な宗教的紐帯(世界宗教)が生まれ、そしてヨーロッパの成立を準備するキリスト教の時代(中世)を迎えることになります。
紙がどのように時間がかかりますか?
ところで、地上で虐げられた人々は見えないテリトリーを心の中(「地下」)に作るしかありません。帝国というものが地上のテリトリー維持拡大運動体であり、また外部世界を乱暴に編集する方法だとすれば、世界宗教の成立は、心のテリトリー開拓運動であり、内面世界を緻密に編集するプロセスだったと言えるでしょう。後者は目に見えないがゆえに容易には近づき難(にく)いテリトリーを、それを必要とする人々の心の中に構築します。ユダヤ教の歴史はそのような見えない深みへ向かって膨大な情報を迷宮的構造のデータベース(タルムード、ゾハール)として構築した運動(カバラ)でした。その深刻化する運動から再び地上へ向かう捩(� �)じれた軌跡(イエス、パウロ)を断続的に描きながら浮上したのがキリスト教でした。しかもそこには、エッセネ派、クムラン宗団、ミトラ教の存在が影を落としています。
キリスト教が普及していく過程で、教会とは明確に区別されなければならない施設として修道院が各地に次々と作られ始めます。特にカッシオドルスが作ったヨーロッパ初の修道院図書館、通称「ヴィヴァリウム」は、パソコンの発明者アラン・ケイも注目したほど、情報技術的にも、また情報文化的にも大変興味深い施設です。キリスト教大学を構想していたカッシオドルスは聖書、キリスト教関連書物の他に、あらゆる分野のギリシア・ローマの書物をも収集しヴィヴァリウムに収蔵したのでした。修道院は瞑想(修行)空間であると同時に写本(複製)および翻訳(編集)空間でした。エリート修道士たちは瞑想を通してキリスト教という言わば心のプログラミングを深く習得し、翻訳と写本によって教義体系というデータベー スをせっせと構築していたわけです。そのようないわば「情報編集空間」が後の「大学」へと進化するのです。私たちが現在所属する機関の歴史的起源は修道院にあります。修道院の雰囲気をつかみたい人は映画『薔薇の名前』を観るといいでしょう。
*あなたが愛用しているかもしれない百科事典の入った「電子辞書」はポータブルな図書館であることを知ろう。世界をコンパクトな形で持ち運びでき、好きな時に世界を構成する好きな情報にアクセスできる道具。2000年の時を経て、人類は図書館を掌(てのひら)に乗せて移動できるようになったのだ。
9砂漠の思想
ランボオを知っていますか?シルベスタ・スタローン演じる映画のキャラクターのランボーではなくて、十九世紀後半、普仏戦争後のパリ・コミューンに沸き立つフランス文壇で「呪われた詩人」と異名をとった実在したアルチュール・ランボオを。ランボオは二十歳になる直前に「呪われた言葉(詩)」共々ヨーロッパを捨て、三十七年間の残りの生涯をアデンやエチオピアで武器商人として生きました。彼の人生の軌跡はまるで、ユダヤ・キリスト教の歴史をそのルーツへと遡り、神との契約が結ばれた乾熱の土地で、契約以前の場所へと至ったかのようです。その場所とは「砂漠」*です。 湿潤なモンスーンの風土に代々生きて来た私たちにとって、砂漠は生きるのに適さない過酷で非生産的な土地というイメージが強いものですが、ユダヤ・キリスト教が、そして後続のイスラム教も砂漠に誕生した「世界宗教」です。極論すれば、砂漠が二種の宗教を生んだわけです。もちろん、風土以外の理由によって、ユダヤ人は四散し、キリスト教は砂漠、乾燥地帯を離れ、北へ、森林へ向かいました。その後、砂漠、乾燥地帯では有象無象の集団が離合集散を繰り返し、やがてイスラム教を紐帯にして、西はイベリア、東はインドにまでいたる広大なイスラム世界が出現します。
ユダヤ・キリスト教とイスラム教の根本的な違いは、前者は砂漠を「否定」したのに対して、後者は砂漠を「肯定」した点にあります。すなわち、終わり無き過酷な変化が支配する砂漠に対して救済としての絶対的な「終わり=目的」をセットしたのがユダヤ・キリスト教であり、終わり無き変化そのものである砂漠こそが救済であるような「永遠の現在」をまるごと生きるのがイスラム教です。砂漠で生まれたが、砂漠を捨てて、唯一の「終わり=目的」に向かう時間にそって心と世界をプログラムしたユダヤ・キリスト教。砂漠に生まれ、「終わり=目的」なき時空としての砂漠を心と世界のモデルとしてプログラムしたイスラム教。こんなに異質な思想を「宗教」として一括りにすることにはかなり無理があります。現に前者の 「常識」では後者は理解不可能です。
私たちに縁の深い仏教は砂漠とは対照的なインドの森林で誕生しました。本家インドではエリートたちによる哲学的思弁の深まり(インド哲学)と庶民の信仰(ヒンドゥ教)の狭間で、仏教は徐々に衰退し、ついに解体します。しかし中国が仏教を精力的に導入したお陰で、中国で全面開花し、それがさらに日本に導入されて独自に展開されることになります。ところで、そもそも仏教の歴史は、移動する必要のなくなった遊牧民の末裔が森林の中で「心の遊牧」=瞑想を通して「輪廻」を「霊魂不滅」を核心にしてプログラムし始めたのがルーツです。そのプログラムには移動と変化を包み込みながらも静止しているという矛盾する構造の設計や無限ループ(「輪廻」)からの生産的な脱出(「解脱」)のルートを開発することが要 求されました。それは一方では難解な哲学的、論理的思弁を生み、他方後に中国では華厳世界の超密で相互貫入的ネットワーク理論を生み、さらには密教曼荼羅に観られるように、意識=宇宙の全体論的構造が設計、視覚化されていくことにもなります。
*砂漠とは、もしかしたら、地上の海であり、海が「物質的生命」を育んだように、「別の生命」の揺籃なのかもしれません。とにかく、ランボオはヨーロッパ世界を深く嫌悪し、「砂漠」へ向かったのでした。砂漠へ誘われた現代欧米の作家の系譜を辿ってみることも一興ですが、ランボオが「砂漠」に見たもの、ヨーロッパにはないもの、は一体何なのか。そしてそれは、ヨーロッパとも砂漠とも縁遠い私たちに何の関係があるのか。どこでどうつながるのか。それを自分の目でたどり、自分の頭で推理することが大切です。
10旅のルーツ
旅は好きですか?旅は身体の地理的(空間的)移動を通じて心の中に新しい「道」をつける有効な方法です。旅によって人は心身ともに非常に深い変化を経験することができます。極端な場合にはそれは人生のやり直しであったり、文字通り「再生」あるいは「蘇り」の経験になるでしょう。旅は人生という時間を組み直す(プログラムし直す)レッスンになりうるものです。 四国八十八ヶ所巡りのことを知っていますか。今でも多くの人が空海さん縁(ゆかり)の寺々を思い思いに巡っています。また中世には末法思想の流行を背景にして熊野詣*が流行しました。天皇、貴族から庶民、病人までがこぞって那智滝や熊野三山を目指し巡礼したのです。事情は中世のヨーロッパでも同じです。十字軍がエルサレムを目指す以前に、終末観に浸された庶民たちはサンチァゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いたのです。中世の巡礼はこの世で行き場を失った心の中に異次元へ通じる「道」をつけるための旅であったと言えるでしょう。現代の私たちが経験する旅の多くは超コンパクトなパック商品に成り下がっていますが、それでも私たちは旅の中で古(いにしえ)の巡礼の記憶を微かに再生しているのです。
宇宙史のどこかで生じた「原情報」は地球上で「情報生命」として生物進化史の中で複雑に分岐し、その中から突出した人類史の中でさらに分岐を促進させ、幾多の渦をまきながら、ついには三つの大きな渦を形成しました。後半は原始宗教からユダヤ・キリスト教圏、イスラム圏、仏教圏が成立していく過程のことです。その後それぞれの圏域において、情報は天上、ユートピア(何処にもない場所)へ向かう動きと地上を循環する流れに分岐し、また多数の局所的な分裂と集中を生み出すことになります。それがいわゆる中世の情報文化的動向の全体像です。
地上にはありえないがどこかにあってほしい「場所」への強烈な希求が一方では巡礼、念仏、踊り、歌、物語になり、他方では垂直に天上を目指す建築様式や美術様式を生み出します。また普通の意味では考えることも表現することもできず、ただ信じるしかない「X」をなんとか世界の知識の体系の中に組み込みたいという深い動機が宗教的教義の哲学的体系化を促し、その成果は国家の根源的な矛盾を鎮め守るマスター・プランとして機能することになります。
*熊野とは紀州、紀伊半島南部、和歌山県の熊野川流域の熊野三山を中心とする地域で、熊野古道を含む紀伊山地の霊場と巡礼の道は世界遺産に登録されています。また、熊野、新宮市生まれ育ちの傑出した作家を知っていますか?『火まつり』という映画の原作も書いた日本では異色の作家。昭和三〇年代まで実在した「路地」の観念を地球規模にまで拡張して壮大な物語群を精力的に編集した、紡ぎだした作家。答えは「中上健次」です。『十八歳、海へ』と『十九歳の地図』を手始めに、『地の果て 至上の時』くらいまでを是非読んでみることを勧めます。新宮市では毎年冬に「火祭り」が開催されていて、それは古代の記憶を強烈に再生する祭りで、死ぬまでに一度是非観たいと思っています。ついでに、熊野には「補陀落(ふ� ��らく)渡海」信仰が伝わっていて、これは想像を絶する「捨身往生」というラジカルな巡礼です。
11天下のコミュニケーション
いま使っている茶碗はお気に入りですか?茶碗?湯呑み茶碗のこと?それとも御飯茶碗のこと?とひっかかった人もいるでしょうね。そもそも「茶碗」という言葉には「茶」が入っているから、お茶を飲むための碗=器のはずだし、白湯(さゆ)を飲むことはめったにないから、湯呑み茶碗じゃなくて、ただ「茶碗」でいいんじゃないか、そして、御飯茶碗は御飯とお茶が居心地悪そうに同居しているようで、むしろ御飯碗の方がすっきりしていていいんじゃないか、と思ったことのある人もいるでしょうね。実は茶碗=茶陶の歴史は縄文時代にまで遡る壮大かつ深遠な事情をもちます。詳細は講義に回しますが、一度陶磁器専門店かデパートの陶磁器コーナーで自分が惹かれる茶碗はどんな種類のどこの窯で作られたものかをチェックし� ��みることを勧めます。例えば、陶器を「瀬戸物」と一括りに認識してしまっている人も多いのですが、瀬戸は13世紀半ばに出揃う、いわゆる「六古窯」の、常滑、備前、丹波、信楽、越前と並ぶ一つのブランドでしかありません。もしかしたらあなたはもう少し後に登場する佐賀県の「有田焼」(別名「伊万里焼」)が好きかもしれません。 ところで、日本人の器に対する感受性は世界でも類をみない特殊な質と方向性を持っています。自分専用の器を所有する風習は同じ漢字文化圏の中国はもちろん、お隣の韓国でもありません。中華料理店や韓国料理店へ行くだけでも、それは感じますよね。しかも食器として陶器、木製の汁椀にこだわるのも日本人だけのようです。他は金属器が多いのです。詳細は講義に回しますが、このような文化的な癖の違いの面白さもさることながら、食器や鈴などを含めた器そのものに、人間の非常に深いコミュニケーションが秘められてもいるのです。
ルネサンスから近世に至る時期には、新たなコミュニケーションが誕生し普及します。一言で言えば、それは人間同士の天下のコミュニケーションです。それ以前だって、コミュニケーションは人間同士が行ってきたものではないのか、と思われるかもしれませんが、実はそうではありません。従来は天上とのコミュニケーションだったのです。神や仏や空や無とのコミュニケーションです。帝国や朝廷といった一定規模の宗教=政治的情報システムが安定期にさしかかったとき、その内部を貫きつつ境界を超えていくような経済=文化的な情報通信ネットワークが形成されます。そうして天上との取引に代わって、天下での取引が普及していきます。
だからと言って、そんなに違ったことをするようになったわけではありません。従来は「神」をメディア、コミュニケーション・ツールにして人々は結びついていると信じられたのに対して、今や「神」以外の、色んな文物をメディア、コミュニケーション・ツールにして人々は繋がっていると信じたがり始めたのです。そのような文物の代表が中国生まれの磁器であり、日本人は青磁や白磁に強く憧れ、一生懸命模倣を試みました。有名なドイツのマイセン磁器に見られるようにヨーロッパの人々もそうでした。器は食器としての実用やその意匠(デザイン)の美しさだけでなく、それを介して人々が結びつくことができる「神」に代わるメディアの一つとしての見えない機能を果たしているのです。
言葉を発明したときから、人類は「神」を抱え、人類史はある時期まで神の交代の歴史、神の奪い合いの歴史だったわけですが、その後神に代わる何かをとっかえひっかえする歴史になるのです。なぜなら、人間同士はダイレクトには決して結びつけないからです。「間」=「媒体」が必要なのです。それは人類が何かと引き換えに背負った深い溝です。
12今ここを少しでも気持ちのよい場所にするには
キリスト教も仏教も人間は罪深く欲深い存在であると教えた。そんな人間がこの世を生きることは本来的に悪であり苦である他はなく、そんな牢獄のようなこの世では刑期を少しでも短くするためにまじめに義務を果たし、あの世での救いを唯一の希望として一心に祈りながら生きるしかない。しかし、そもそもそのような世界観はこの世で負けた人間が窮余の一策として編み出した宗教的世界観に過ぎず、その時勝った側や、負けたとは思わなかった一派はそんな世界観とは無縁の世界を生きていたはずである。人間は罪深くも欲深くもなく、この世を生きることは本来的に善であり楽である、と。 近世にいたるまでは、そのようなポジティブな世界観と人生観をもった一派は異端として迫害の憂き目をみた。しかし時代は別の方向からそのようなヴィジョンを過剰に推進することになった。19世紀後半、帝国主義によって世界が「地球規模」にまで拡張したとき、万国博は欲望を刺激し、百貨店は怒濤のような「消費」を促し、資本主義は無尽蔵な欲望の開発と展開に狙いを澄まし、精神分析は無意識の欲望に警告した。宗教が歯止めをかけていた欲望の箍(たが)が外れ始めたのである。本来宗教は人間の欲望の引き算であり、資本主義は足し算ないしはかけ算である。
資本主義は宗教を追いつめ、差別を助長した。人類は差別化による相対的なアイデンティティに縋りながら近代戦争に突入する。国家と国民のために、人類は文化を破壊し始めた。国家や国民を盾にして文化を破壊する輩が跋扈する時代、それが現代である。外側では破壊が横行し、内側では崩壊が進行した20世紀が終わり、21世紀は建設と再生の世紀になるだろうとは誰も予想はしなかったが、案の定、2001年9月11日以来、世界は見えにくい「第三次世界大戦」に突入した。テロとの戦いという口実の裏で、大国による一方的な破壊が報道メディアの無能をあざ笑うかのように平然とまかり通り始めた。残念ながら、日本はそれに積極的に加担した。せざるを得ない理由すら明らかにしないままに。
そんな時代と世界にあって、頼りになる情報源へのアクセス手段は皮肉にも軍事技術由来のインターネットである。しかもインターネットは人類がかつて経験したことのない大規模な連帯ないしは共同の場にもなりうることをここにきて実感する人々が少しずつ増えてきた。80年代に個人にとっての「柔らかい武器」として産声をあげたパソコン、そして90年代後半に「脆いつながり」として広がり始めたインターネットは、すでに単なるヴァーチャル・コミュニケーションの手段としてではなく、もうひとつのリアル・コミュニケーションの手段として確立した。そして現在、インターネットを抜きにして、世界の将来を展望することは不可能になった。むろん、問題なのは使い方である。世界を後退させるような使い方がまだまだ� �流である。しかし、インターネットが「強力な抵抗の武器」として機能する現場を私たちはその気になればいつでも見ることができる。
21世紀初頭、私たちはネットにつながったパソコンで文字通り、世界規模、地球規模に広がる膨大な情報ネットワークを図書館、博物館、美術館として、百貨店やスーパーとして、多言語辞書、百科事典として使いながら、そこを未曾有の会議室として、さらにそこをメッセージ発信のための放送スタジオとしてさえ活用することができる、そんな環境を手に入れたのである。そのことに少しでも早く一人でも多くの人が気づくことが、世界を、一人一人にとっては、「今、ここ」を少しでも気持ちのよい場所にするための決定的な第一歩である。
どう?
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